箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
慶應・根岸が走った8区は実は……。
24年前に同じ道を走った1人の男。
posted2018/01/15 07:00
text by
神津伸子Nobuko Kozu
photograph by
AFLO
慶應義塾の箱根駅伝復活プロジェクトが、一歩目を踏み出した。
記念すべき路となったのは、第94回箱根駅伝8区。走り出した瞬間、学連選抜メンバーで慶應3年の根岸祐太は泣きそうだった。
「人生でこれだけの応援を受けて走る事は、もう無い」
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沿道の400本の幟の一本一本、熱い声援、応援に来てくれている友人、家族らの顔。
「全てが確認出来て、感極まりました」
それらを背に受け、向かい風に立ち向かって走り終えた根岸の顔には、やり切った爽やかさと「目標タイムに3分及ばなかった」無念さが浮かんでいた。
根岸は走り終わると、戸塚中継所から競走部の車が停車している近くの駐車場へ引き上げた。そこに駆けつけていた父親、叔父、弟・高校1年生の亮太の顔を見つけた。一気に1人の優しい青年の顔に戻り、緩んだ。
「お疲れ!!」
不器用で短いねぎらいの言葉と応援の幟を受け取ると、根岸は女子マネージャーに追い立てられるようにバンに乗り込み、戸塚中継所を後にした。
「また、来年も箱根路を走りたい」
根岸は思いを強く、強く持った。
箱根駅伝には、学連選抜メンバーとして出場できるのは一度までというルールがある。来年ここを根岸が走るには、慶應が予選会で出場権を勝ち取るしかない。
常連出場校の背中は、果てしなく遠いが、突き進むしかない。
「この桁違いのレースに出ないのはもったいない」
慶應の箱根駅伝復活プロジェクトは、昨年4月に始動したばかりだが、日清食品グループで駅伝日本一に貢献した保科光作コーチを招聘するなど着々と進行している。朝練は週2回から毎朝に、夏合宿は20日間から30日間に増加。昨年走破した距離は、前年から200キロ以上増えて1070キロとなった。
高校生のスカウティングも実施しているが、慶應にはスポーツ推薦がないため、AO受験を受けてくれと勧める事しかできずにいる。
根岸は慶應志木高の出身で、高校時代に思うような実績が残せず、今度こそという思いで大学でも体育会競走部に入部した。入部当初はメンバーの中でも決して速い方ではなかったが、めきめきと頭角を現してきた。
「走ってみてしみじみ感じたのは、大学で長距離をやっていてこの桁違いのレースに出ないことは、とてももったいないという事。チームで出られる可能性が0.1%でもあるなら、そこに向けての努力は惜しまないし、自分が感じた感覚を皆に伝えていきたい」
正月も返上して練習に付き合ってくれた仲間たちに、箱根の熱を繋いでいくつもりだ。
コーチの保科は、今までで一番悔しい駅伝だと語り、その理由を次のように話した。
「根岸は(繰上げスタートで)たすきを貰うことも渡すことも出来なかったので、区間選考会までにもっと何か出来ていれば。彼にもう少し“駅伝”を体験させてあげられた」