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森コーチとの別れと秋山翔吾の助言。
西武の結束を、2018年も見たい。
text by
市川忍Shinobu Ichikawa
photograph byKyodo News
posted2018/01/03 07:00
WBCからフル回転でプレーし続けた秋山。森コーチの悲報に揺れたチームを、逞しく支えた。
秋山が続けた会話によって打線は「線」になった。
秋山の言う通り、レギュラーを狙う選手がなかなか頭角を現してこなかった2016年に比べると、2017年は内、外野ともに若い選手が躍動した。
「やはり会話は必要なんですよね。打順の役割の会話もそうだけど、相手ピッチャーの対策などは、自分で持っている情報だけではなく、自分以外の選手の考え方を聞いてハッとすることも多いんです。もうバッティングが完成している人はいいけれど、若い選手は特に、いろいろな人の考え方や情報を知って、その中から選択する力もつけたほうがいいと思っています」
シーズン前に語っていたことを有言実行した形となった。
「僕がシーズン最多安打記録を作れた2015年は、1番を打っていた栗山(巧)さんが粘って、僕がやりやすいように、いろいろ手助けしてくださったという体験がありました。そのときの経験があったから、自分も誰かのためにプレーできたんだと思います。“今度は自分の番だ”と思えました。チームのために、後輩のためにってことをより真剣に考えるようになったんだと思います」
試合前の会話に始まり、直前の練習中にも若い選手に声をかけ続けた。打線をその名の通り「線」として機能させた秋山の功績は大きい。
森コーチが亡くなって以降、チームの空気は変わった。
そして、投手陣の結束を強めたのは、悲しい出来事が発端だったのではないかと思う。
6月28日、急逝した森慎二コーチとの別れは、あまりに突然のことで、衝撃的だった。
追悼試合の当日、記者席で顔見知りの記者仲間に会っても「信じられない」という言葉しか出てこなかった。皆、黒いスーツや黒の洋服に身を包んでいるものの、あまりにも突然のことに、誰もが実感が全く湧いていない様子だった。チームも同様だったのではないか。
追悼試合は0-3で敗れたが、最終回には1死満塁と相手を最後まで苦しめた。
森コーチが亡くなった日から、チーム内に漂う空気が変わったように筆者は感じた。正直言うと、2016年まで3年連続でBクラスに低迷していたシーズンは、戦いぶりに「粘り」が感じられなかった。リードを許すと、そのままずるずると後続の投手が失点を重ね、打線も反撃できないまま敗れる試合が多かったように思う。