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非情マクラーレンとホンダの涙。
掌返しに耐えたスタッフの3年間。
posted2017/12/03 08:00
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph by
Masahiro Owari
ホンダがマクラーレンと組んで戦う最後のレースとなった2017年アブダビGP。チェッカーフラッグが振られた瞬間、思わず涙を流した男がいた。ホンダのチーフエンジニアを務める中村聡だ。
込み上げてきたのには、理由があった。アブダビは'15年にホンダがF1に復帰するにあたって、マクラーレンと組んで初めてテストを行なった場所だった。
エンジンを始動することさえままならない、最悪のスタートとなった'14年のアブダビ・テスト。そんなホンダに、マクラーレンは温かい手を差し伸べ続けた。開幕までホンダの負担を軽くしようと、エアボックスやバッテリーパックなどの製作をサポートしたのである。
「もし、彼らのサポートがなかったら、われわれはレースできていなかったかもしれません」(中村)
2年目までは「間違っていない」と励まされた。
その後もホンダの艱難辛苦は続いた。相次ぐトラブルに、年間使用基数を大幅に超えるパワーユニットを投入。毎レースのようにグリッドペナルティを受けた。そんなとき、ホンダを支えたのもマクラーレンだった。
「少しずつ性能が向上している。来年へ向けていいステップが踏めているから大丈夫だ、心配するな。お前たちは間違っていない」と言って、ホンダを励まし続けた。
こうして、2年目の'16年は確実に進化を遂げて、多くのレースで入賞争いを演じるまでにホンダは成長。飛躍を誓った3年目の'17年、しかしホンダは失速した。
「冬の間に予定していたとおりに開発が進んでいないことはわかっていたので、最初のテストでは、性能が十分ではない仕様で走行をスタートさせるしかなかった。
そのときは“次のテストまでになんとか新しいパワーユニットを準備するから”と言っていたので、マクラーレンも我慢して待っていました。でも、2回目のテストになっても、われわれが約束していたものを準備できなかったため、ホンダは完全にマクラーレンの信用を失いました」(中村)