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北島康介に憧れて、超えるために。
渡辺一平「燃え尽きてなんて……」
posted2017/08/31 07:30
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph by
AFLO
“世界で最も速い男”となった20歳は、
自身の置かれた立場に臆することなく貪欲に更なる高みを目指していた。
Number927号(2017年5月18日発売)の記事を全文公開します。
ポテンシャルが爆発したのは今年1月の東京都選手権だった。スタンドの観客もまばらな東京辰巳国際水泳場で行われた小さな大会。男子200m平泳ぎの世界新記録はそこで生まれた。他の選手より2かきほども少なく50mを折り返す渡辺は圧勝でゴールした瞬間、電光掲示板が映し出した2分6秒67という数字に一瞬呆気にとられ、一拍おいて雄叫びを上げた。
「タッチして掲示板を見た時、僕が一番驚きました。世界新記録なんて頭の片隅にもなかったので。水泳は基本的にベストが出るのは夏場。大きな大会もない1月は難しい時期のレースで、選手のコンディションも良くないのですが、僕は筋量が少ないのであまり調子に左右されない。それも記録が出た一因なのかなと思います」
プロ野球で言えば、オープン戦に登板した投手がいきなり世界最速170kmを投げてしまったようなものかもしれない。
スイッチの入っていない時、入った時の落差。
「(記録を)狙って出したのではなく出てしまったことは結構あります。自分の力を全然、把握できていない。(早稲田大水泳部総監督の)奥野さんにも言われるんです。『スイッチが入っていない時のお前は何がしたいのかわからない。でも、入った時は誰も勝てないし、手がつけられない』って」
あふれ出る可能性を他人はもちろん、本人ですら制御できない。それが予測不可能な渡辺の魅力になっている。
ただ、1つだけはっきりしていることがある。渡辺の「スイッチ」を入れたのは真夏のリオ五輪だった。当時の立場はギリギリで代表に滑り込んだ男子競泳陣最年少の19歳。背負うもののない若者は、準決勝で五輪記録の2分7秒22を出してしまった。レースを終えた深夜0時、選手村に帰るバスで早大の先輩・坂井聖人に言われた。
「お前、金(メダル)いけるじゃん」
同部屋で、400m個人メドレーで金メダルに輝いていた萩野公介にも言われた。
「お前も金取って、一緒に金メダル部屋を作ろうぜ」