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リオ五輪の銀メダルよりもっと上に!
吉村真晴、卓球武者修行でロシアへ。
posted2017/08/29 11:00
text by
武田鼎(Rallys編集部)Kanae Takeda
photograph by
Kei Ito
「一言で言うと闘争心です。それもガツガツした原始的な戦いをしたいんです」と吉村は語る。その真意を紐解くと、日本卓球界の課題も見えてきた。
吉村がリオ五輪以降、何を感じていたか。一言で言えば「物足りなさ」だ。
「逆にそれまでがヤバすぎた。2015年に代表に選ばれてからの1年はずーっとプレッシャーと戦っていた。リラックスできたことはほとんどなかった」と振り返る。リオ五輪の男子メンバー選考段階では水谷と丹羽孝希は確実視されていた。3人目は誰か。吉村と松平健太と大島祐哉の3人が横一線と目されていた中で吉村が選出された。
「祐哉もずっと知っている間柄だし松平さんももちろん後輩としてお世話になっていた」
旧知の間柄の2人を差し置いて自分が選出された。そのプレッシャーは吉村が想像していた以上だった。
「そこから1年間の苦しみがはじまりました」
その後の苦悩ぶりはオリンピック直前の大会結果に現れている。カタールオープンでは1回戦で敗退、韓国オープンにはエントリーしたものの肩の痛みで出場できず。怪我にも悩まされた。辛うじてベスト4になったポーランドオープンでは肩を痛めて1カ月ぐらい練習できない中、痛み止めを飲んで強行出場した。
幼稚園時代から休んだことがない吉村が、休んだ。
そんな極度のプレッシャー下で勝ち取ったリオ五輪のメダル。
「自分たちが歴史を作ったと思うと誇らしかった」
日本に帰ると待っていたのはメディアからの取材攻勢だった。
「母校も取材されて、テレビにでるようになって。ちょっと精神的なタフネスがなくなっていたのかもしれない」
一区切りをつけるために吉村が選んだのが「2カ月間の休息」だった。幼稚園児の頃から休まず続けてきた卓球を「初めて」休んだ。
だが、その2カ月間、世界は吉村を放っておかなかった。