オリンピックへの道BACK NUMBER
五輪シーズン直前に思い出の地で。
羽生結弦、心からの恩返しと感謝。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byAsami Enomoto
posted2017/08/20 09:00
今季初戦となる9月20日のカナダでのオータム・クラシックを前に、羽生は子供たちと夏の思い出を共有した。
開幕前のタイミングで横浜のリンクへと来た理由は?
今季はオリンピックシーズンで、初戦が間近に迫っている。調整に集中したいところだが、そのスケジュールを縫って帰国しての参加だった。競技のことを考えれば、ためらっても不思議はない中、イベントに加わったのには恩返し、感謝の思いがある。
プログラムを滑ったあと、マイクを手にした羽生は、挨拶の中でこう語った。
「震災のとき、このリンクを借りて僕は何とかスケートを続けることができました。辛いこともありますが、スケートをやっていれば楽しいこともあります。少しでも皆さんが幸せになれるようにと思いながら滑らせていただきました」
羽生は2011年3月の東日本大震災のとき、拠点としていた仙台のリンクが被災。使用できなくなったことで、練習場所を失った。
そのかわりに、数多くのアイスショーに出演することで練習量を補った。それとともに、一時練習場所としていたのが横浜銀行アイスアリーナ(当時は神奈川スケートリンク)だった。仙台で指導を受けていた都築章一郎コーチが同リンクに移っていた縁があってのことだ。
境遇を重ねて、みんなが頑張っていただけるように。
当時の感謝を込めての参加だった。
主催者側の説明によると、イベントへの参加を依頼した際、即座に承諾を得たという。そこにも、気持ちが表れていた。
震災とその後の経験は、今なお忘れがたい。心に残っている。8月8日のトロントでの公開練習日に語っていた言葉も、それを物語る。
「復興している地域にも格差みたいなものがあると思うんですね。自分が足を運んだりいろいろなことをして、この3年間で感じたことです。でもそこには共通な思いがあって、新たに挑戦しようという思いであったり、守ろうという思いであったり、これからつないでいこうという思いであったり。スケートをやっているときでも同じようなこともあったりするので、そういった意味で、自分の境遇と重ねて、みんなが頑張っていけるような、励みになるような結果を出すことが一番かなとは思います」