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フィギュア界のシンデレラ三原舞依。
難病を乗り越え、幸せを伝えたい。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byNanae Suzuki
posted2017/08/15 07:30
昨シーズンは充実の一途だった三原。平昌五輪が控える新シーズンに向けて、強い決意を持って臨もうとしている。
滑る楽しさ、幸せが、観ている方に伝わるように。
2016年の1月に退院するが、車椅子での生活を余儀なくされた。
「不安は大きかったです。でも『笑顔にしてたら気持ちが晴れるかな』と思ったり、『(全日本に)絶対に戻りたい』という気持ちが強くなったので、押しつぶされることはなかったです」
治療は順調に進み、4月から氷上での練習を再開、'16-'17シーズンの準備にも取り組み始める。7月には新潟市のスケートクラブの発表会に呼ばれ、新しいプログラムを披露する。同じ日、新潟県の長岡市ではエフゲニア・メドベデワ、宮原知子ら国内外のトップスケーターが参加し、「ドリームオンアイス」が行なわれていた。観客数も少ない、静かな再スタートの日を思い出す表情は、明るかった。
「発表会に呼んでもらえたことがうれしくて。ジャンプも戻っていなかったけれど、スケートをできる喜びがありました」
同時にこうも思った。
「スケートをできる喜びが、生きてきた中でいちばん大きくなっていました。滑る楽しさ、幸せが、観ている方に伝わるようにと思って演技しました」
それは三原のシーズンを通じての“芯”となった。2つのプログラム、特にフリーの『シンデレラ』のスピードと軽快な滑り、晴れやかな笑顔は、観客を魅了し続けた。
浅田真央の演技を見て感動し、スケートを始めた。
'16-'17シーズン最終戦となる国別対抗戦のフリーでは、日本歴代最高得点となる146.17を記録。右肩上がりで終えたシーズンを、こう表現する。
「シニアでまさか自分が表彰台に上がれると思っていませんでしたし、憧れの選手と大会にも出られて、驚きだらけでした」
もっとも心に残るのは、浅田真央と出場した'16年10月のスケートアメリカ。'05年のGPファイナルの浅田の演技を観て感動し、三原はスケートを始めたのだ。
「練習のとき、(浅田の)スケーティングや表現が素晴らしくてずっと見てしまいました。(中野園子)先生から『あなたもちゃんと練習しなさい』と言われたくらい(笑)。試合後、マッサージルームで浅田選手とお会いすることができて、『私が始めたきっかけが浅田選手の演技で、ずっと憧れています』と話しかけると、『うれしい、ありがとう』と言ってくださって、すごくうれしかったです」