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フィギュア界のシンデレラ三原舞依。
難病を乗り越え、幸せを伝えたい。
posted2017/08/15 07:30
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
Nanae Suzuki
難病を克服し、氷上に立てる喜びを表現する“氷上のシンデレラ”が、
これまでの歩みを振り返り、幼い頃から夢見た五輪への思いを語る。
Number927号(5月18日発売)の特集を全文掲載します!
駆け足で階段を上がった1年だった。
シニアデビューを果たした2016-'17シーズン、三原舞依はGPシリーズデビュー戦のスケートアメリカで3位に入る。全日本選手権でも初の表彰台となる3位に輝くと、四大陸選手権では堂々の優勝。そして初めて出場した世界選手権では、ショートプログラム15位から圧巻の巻き返しで総合5位となり、スタンディングオベーションが沸き起こった。シーズン締めくくりの国別対抗戦まで、合計10大会に出場した。
「去年('15-'16)はすごく早くシーズンが終わってしまったんですけど、今年('16-'17)は最後まで滑らせていただけました。昨年の春、氷上での練習を再開したときは、試合に出られるなら出たいという感じでした。去年の今頃の自分に『10試合出たよ』と言ったら、すごく驚くと思います」
三原は感慨とともに振り返る。言葉の通り、競技人生の危機に立たされながらも、見事に再起して飛躍を遂げたのだ。
1万人に1人の難病、若年性特発性関節炎を発症。
発端は、一昨年のことだった。
「('15年の)全日本ジュニア選手権の1週間くらい前に膝が痛くなりました。『怪我かな』と思ってテーピングとかしていました」
痛みをこらえて全日本ジュニア、ジュニアGPファイナルに出場するも、それぞれ8位、6位に終わる。膝の影響は顕著だった。帰国後、病院で診察を受けると医師は病名を告げた。若年性特発性関節炎だった。
「『1万人に1人の病気です』と聞いて、びっくりしました」
指定難病の一つで、進行すれば関節が破壊され、機能を果たせなくなる。すぐに入院し、治療にあたった。2年続けて出場していた全日本選手権も出られなかった。再び氷の上に立てるのか、不安がよぎった。
「全日本選手権は病室のテレビで観ていました。『来年、この場所に戻ることはできるのかな』と思いました」