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女子のCL決勝は2年連続PK戦決着。
仏代表・守護神ブアディの意地。 

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トマ・シモン

トマ・シモンThomas Simon

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photograph byStephane Mantey

posted2017/06/20 08:00

女子のCL決勝は2年連続PK戦決着。仏代表・守護神ブアディの意地。<Number Web> photograph by Stephane Mantey

CL優勝の表彰式で、高々とトロフィーを掲げたブアディ。代表でも2003年の初出場から100試合以上の出場を果たしている。

PK戦だけでなく、試合を通じて守護神であり続けた。

 実際、対戦相手(2016年はウォルフスブルグ、1-1のあとPK戦で4-3の勝利。今年はパリ・サンジェルマン、0-0のあとPK戦で7-6の勝利)と決勝の会場(昨年はレッジョ・エミリア、今年はカーディフ)が異なるだけで、繰り返されたシナリオはまったく同じだった。

 迎えた結末も、そこに導いたヒロインも同じ。

 そしてそのヒロインが、試合後に発した言葉も同じだった。

「この試合に特定のヒロインはいない」

 だがその言葉とは裏腹に、彼女が大舞台における決勝の舞台で輝いたのは、2011年のポツダム戦(2-0)も含めてこれが実に3度目のこととなっているのだ。

「彼女は常に必要なときに力になってくれる」と、キャプテンのウェンディ・ルナールは語っている。

「試合の時も、彼女は(PSGのキャプテン)クルスの決定機(33分)を阻止してくれた。PK戦になって、PSGが8人目のキッカーにゴールキーパーを送り込んできたから、私も迷いなくサラに蹴るように言ったの。彼女なら間違いなく決めるという確信があったから」

 ブアディもこう述べている。

「女子はどちらかというと優柔不断だけれども、私は自分の責任を全うした」

 そう、彼女は常にすべての責任を引き受け、最後尾でチームを支えてきたのだった。

十代で代表の正GKにはなったが、その後に苦難が……。

 17歳で初代表に選ばれたブアディは、最初の試合で12分間に3つのビッグセーブをやってのけ、その勢いに乗って一気にフランス代表に定着した。だが、'09年のヨーロッパ選手権で十字靭帯を傷めて戦列を離れる。また当時の代表監督であったブルーノ・ビニは、チーム内での彼女の規律を欠く態度を容認できず、結局、怪我の回復後も招聘を見送るようになったのだ。

 フランスがはじめて世界のトップに伍した'11年ドイツワールドカップにも彼女の姿はなかった。

【次ページ】 批判に晒された時も「それもまた人生の一部」と。

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サラ・ブアディ
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