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日本人として、空前絶後の金字塔。
佐藤琢磨、インディ500制覇までの道。
text by
松本浩明Hiroaki Matsumoto
photograph byHiroaki Matsumoto
posted2017/06/09 08:00
インディ500名物、ミルクでの祝福シーン。その昔、レースのスポンサーのひとつが乳業メーカーだったことに由来する。
“No Attack, No Chance”という琢磨の信条。
琢磨は予選こそ低迷したが、決勝中のマシン調整をうまく決め、レース中盤にはトップ10を争う位置にまでつけていた。そしてレース終盤……イエローコーション明けのタイミングでどんどん上位に迫ると、ついには2位にまで浮上。
最終ラップの第1コーナーで、前を行くトップのダリオ・フランキッティのインに飛び込んだ!
オーバーテイク成功! と思いきや、その直後に琢磨は大きくスピンし壁に激突したのだった。
結局、優勝はフランキッティのものとなり、琢磨はリタイヤになってしまう。
レース直後のインタビューでは、「あのチャンスは、行くしかなかった」と堂々とコメント。そんな琢磨のチャレンジ・スピリットが、全米で絶賛されたのである。
このアタックにも賛否両論があったものの、最終ラップにライバルのインに飛び込む勇気を持つものは少ない。
まさに一か八か。
“No Attack, No Chance!”「アタックなくして、成功なし」をモットーとする琢磨らしい終わり方だった。
だがこの時の琢磨の姿を、インディ500最多勝(4勝)を誇る名門チームオーナーであるA.J.フォイトが目撃したことで、結局、琢磨はそのチームへと引き抜かれることになったのだ。
日本人として初のインディカー優勝を成し遂げる。
'13年からA.J.フォイトの一員となった琢磨は、いきなりその年のロングビーチGPで優勝し、日本人としてインディカーシリーズの初優勝を成し遂げる。
そして'17年、アンドレッティ・オートスポーツに移籍した琢磨。
チームを選んだ理由を「ここ近年最もインディ500で良い成績を残しているから」と、明確に語っているのである。
インディ500は今季のレーススケジュールでは第6戦となっていた。ここまでランキング9位と望み通りのレースが出来ずにいた琢磨だが、インディ500のプラクティスウィークに入ってから豹変した。