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プロレスとファン投票の複雑な関係。
猪木&馬場から、1.4のメインまで。 

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堀江ガンツ

堀江ガンツGantz Horie

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posted2017/05/30 07:30

プロレスとファン投票の複雑な関係。猪木&馬場から、1.4のメインまで。<Number Web> photograph by AFLO

アントニオ猪木とジャイアント馬場。日本プロレスの2大巨頭が1つのリングに立つ驚きは、当時いかほどだっただろうか。

「馬場さん、やりましょう!」「よし、やろう!」

 この企画は大反響を呼び、'79年7月6日付(5日発行)の東スポ紙上で告知・募集を開始すると、日本全国からハガキが殺到。投票締め切り日は7月14日と、わずか1週間強の短期間でありながら、延べ6万8444通もの投票があったと発表された。

 最終投票結果は、人気絶頂だったザ・ファンクス(ドリー・ファンクJr. &テリー・ファンク)や、藤波辰巳&ジャンボ鶴田を抑え、アブドーラ・ザ・ブッチャー&タイガー・ジェット・シン組が1位。

 全日本と新日本のトップヒール外国人同士のタッグ結成は、通常ではありえない、まさにファン投票ならではの結果と言えるだろう。

 なお、試合は猪木がシンを逆さ押さえ込みでフォールして、BI砲の勝利。マイクを握った猪木が「次に同じリングに上がる時は、闘う時です。馬場さん、やりましょう!」とアピールすると、馬場も「よし、やろう!」と返答。

 ファンを大いに喜ばせて幕を閉じたが、じつはこの猪木発言は完全に“フライング”であり、これにより馬場は再び態度を硬化。「次に同じリングに上がる時」は、二度と訪れることがなかったのだ。

長州力のテレビ復帰戦では、投票+コイントスが。

 '80年代にも、新日本と全日本、それぞれで印象に残るファン投票が行なわれている。

 新日本は、'87年10月5日後楽園ホールでの長州力の対戦相手をファン投票で決める企画を実施。当時の長州は、この年の5月に全日本から新日本に復帰したものの、日本テレビとの契約が9月いっぱいまで残っていたために、テレビ朝日『ワールドプロレスリング』には出られずにいた。その“テレビ復帰戦”を盛り上げるべく、対戦相手をファン投票で募集したのだ。

 すると、藤波辰巳と前田日明が最後までデッドヒートを展開(なお、猪木とマサ斎藤は、この前日に“巌流島の決闘”を行うため除外された)。最終的に藤波、前田の票数が極めて僅差だったため、当日、2人がリングに上がった上でレフェリーのミスター高橋がコイントスにてどちらか決定するという方法が取られ、藤波に決定した。

 しかし、コイントスの裏表はレフェリーにしか見えず、前田はタイツとレガースこそ着用していたものの、シューズは練習用のものだったため、ファンの間では「最初から藤波に決まっていたのでは?」と、疑惑が残るものとなったのだ。

【次ページ】 ハンセンvs.ブロディの夢対決はまさかの事件で……。

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