プロレス写真記者の眼BACK NUMBER
獣神サンダー・ライガー28年目の決断。
引退覚悟! スーパーJr.との別れ。
posted2017/05/31 11:00
text by
原悦生Essei Hara
photograph by
Essei Hara
勝てないライガーがいる。
1つも勝てない獣神サンダー・ライガーがいる。
新日本プロレスはジュニアヘビー級のリーグ戦「BEST OF THE SUPER Jr.24」を開催中だが、ライガーが勝てない。6戦を戦って6敗なのだ。
獣神サンダー・ライガーが、獣神ライガーとして誕生したのは、新日本プロレス初の東京ドーム大会でのことだった。
それは1989年の4月24日だったから、そこから数えるとライガーは「28歳」ということになるのかもしれない。
マンガ『スープレックス山田くん』(作画・国友やすゆき 監修・古舘伊知郎 1985年 光文社)のモデル山田恵一は、1989年春「山田は死んだ。リヴァプールの風になった」(ライガー談)ということだ。
当時、船木優治(誠勝)とイギリスのプロモーションでともに戦っていた山田(フジ・ヤマダ)は、上背はなかったが、筋肉も盛り上がったたくましい体になっていた。
掌底攻撃や浴びせ蹴りを武器にマーク・ロコ(ブラックタイガー)らと勝負していた。だが、山田は突然、消えた。
そして、獣神ライガーが誕生するわけだが、こういうマンガ、アニメのキャラクターが同じ中身でこんなに長く戦うケースはレアだ。
ライガーに2代目は存在しない。
佐山サトル以来、タイガーマスクになった男が何人いたかを考えれば、ライガーのすごさがわかるというものだ。
ライガーが山田以外だったら、それはライガーではない。ライガーに「2代目」は存在しない。
ライガーの28年間の戦いはジュニアヘビーのカテゴリーだけにとどまらなかった。
格闘技戦もヘビー級へのチャレンジも自分がプロレスラーであり続けるための試練だった。橋本真也や武藤敬司とも真っ向勝負に出た。
あのベテランの星野勘太郎にも、リング上で差し違える覚悟でケンカを仕掛けたことがある。そんなプロレスラーの負けん気と意地をライガーは持っていた。