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「僕がプロで成功する道を作る」
ケンブリッジ飛鳥が明かした真意。

posted2017/05/20 09:00

 
「僕がプロで成功する道を作る」ケンブリッジ飛鳥が明かした真意。<Number Web> photograph by Shizuka Minami

五輪4×100mリレー銀メダル獲得に続くインパクトがあるとすれば、日本人初の100m9秒台。ケンブリッジは射程圏内の1人だ。

text by

及川彩子

及川彩子Ayako Oikawa

PROFILE

photograph by

Shizuka Minami

ニュースは、リオ五輪の余韻も残る年末に報じられた。突然の「プロ転向」――なぜ今、決断をしたのか。ニューヨークの地で、本人がその真意を語った。
Number919号(2017年1月12日発売)掲載の独占インタビューを全文掲載します。

「もっと速くなりたい」

 観客の熱狂的な歓声を受け、日の丸をまとってウィニングランをしながら、そんな思いが頭をよぎった。前方では憧れのウサイン・ボルトが、同じジャマイカのメンバーと軽い足取りでウィニングランをしている。銀メダルをとれたことは素直にうれしい。でも……。

 こみ上げてくる気持ちを、ケンブリッジ飛鳥は抑えることができなかった。

「プロになりたい」

 突然の告白だった。

 10月のいわて国体を最後にシーズンオフに入っていた。「オフは少しゆっくりしたい」と話していたが、その言葉とは裏腹に大きな決断を下していた。

退社の意志を伝えると、さすがに驚かれたが……。

 ケンブリッジは昨年4月から、アンダーアーマーの日本総代理店である「ドーム」の社員として働きながら走っていた。会社からは様々な形で支援を受け、それが昨年の大きな飛躍につながった。

「すぐに辞めるつもりでドームに入ったわけではないんです。でもプロになるのは大学の時からの夢だった。しばらくそう考えることもなかったんですが、リオから日本に戻る機内でふと『プロになりたい』って思ったんです」

 会社に退社の意志を伝えると、さすがに驚かれたが、社長以下全員が「頑張って」と快く送り出してくれた。大学時代から指導を受ける日本大学の淵野辰雄コーチからは「『そう言い出すんじゃないかと思っていたよ』って言われました。心配されましたが、反対はされませんでした」と話す。

 会社、コーチ、そして家族の後押しを受け、プロになることを決断した。

 これまでプロとして活動した日本人選手は有森裕子、高橋尚子、室伏広治、為末大など数えるほど。米国では大学卒業と同時にスポーツメーカーと契約するプロ選手が多いが、日本では実業団選手がほとんどだ。

【次ページ】 「実業団というシステムを否定するつもりはないです」

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