Jをめぐる冒険BACK NUMBER
明神の隣で学び、石崎に鍛えられ。
大谷秀和が刻んだ柏での300試合。
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byJ.LEAGUE PHOTOS
posted2017/04/15 07:00
柏のバンディエラ、という言葉がしっくりくる大谷秀和。Jリーグで10年連続チームキャプテンというのは異例の存在だ。
明神智和の隣で学び、石崎信弘に鍛えられ。
映像にもあったように、プロデビューは'03年の開幕戦だった。この年は4試合にしか出られなかったが、2年目は16試合、3年目には20試合と、出場時間を増やしていく。当時、ボランチのコンビを組んだのは、日本を代表する名手である明神智和。高校時代までトップ下としてプレーしていた大谷にとって、最高のお手本だった。
もっとも、大谷の順調なステップとは裏腹に、この頃、チームは低迷していた。2年続けてJ1・J2入れ替え戦に回り、'05年にはJ2に降格してしまう。明神や玉田圭司といった主力選手たちが移籍していき、チームは崩壊の危機に瀕していた。
だが、このどん底の時期が、大谷にとっての転機となる。
「降格の責任は感じていましたけど、試合に出ていた人たちがいなくなったのでチャンスだっていう気持ちもあった。それに、石さんと出会えたのは、本当に大きかった」
ゼロから作り直すことになったチームの指揮官として招かれたのは、若手育成に定評のある石崎信弘だった。この広島弁を操る人情味あふれる指揮官によって徹底的に鍛えられた大谷は、ボランチだけでなく左サイドバックでも起用されるようになり、フィジカル面や戦術眼に磨きをかけていく。
6年目、23歳でキャプテンに。
'08年にはキャプテンにも指名された。プロ6年目を迎えたとはいえ、当時まだ23歳。チームの半数近くが年上で、前シーズンまでキャプテンを務めていたGKの南雄太が移籍したというわけでもなかった。
「石さんは『そろそろ責任のある立場に就いてもいいんじゃないか』と。僕自身、やりたくなかったわけではないけれど、年上の選手ばかりだからどうなのかなって。そっちの不安はありましたよね」
キャプテンだから試合に出られていると思われないように、常に高いレベルでプレーすることを心がけた。それでいて、チーム全体にも目を向けようとしたから、その両立に苦しんだ。