“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
市船、Jリーグ、代表でもライバル。
杉岡大暉と原輝綺、18歳の物語。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2017/03/15 11:30
U-20日本代表での原(左)と杉岡(右)。ライバルがいると、ひとりの練習でも手を抜けないので、慢心することもできなくなる。
杉岡を見に来た人が、原に目を奪われる。
「みんな杉岡を見にウチの試合やグラウンドにくるんだけど、『あれ、杉岡の隣りにいる選手、相当良いよね』と言っていくんですよね」
朝岡監督がこう語るように、これまで「陰の存在」だった原に、徐々にスポットライトが当たるようになっていった。
それでも杉岡は、U-17日本代表に選ばれるなどこの世代をリードする存在であることに変わりはなかった。
だが高3になると、原の成長速度はさらに加速する。杉岡同様、Jスカウトが本格的に原獲得に動き出すようになっていた。
杉岡はFC東京、名古屋、湘南、千葉など複数のJクラブが争奪戦を繰り広げた結果、「自分のプレースタイルと合っている」湘南へと入団を決めた。原も新潟と徳島の2択の中から、新潟を選ぶ。
そして、プロ内定後の昨年10月に2人の明暗を分ける出来事が起こった――。
AFC U-19選手権の代表メンバーに、原の名前が入り、杉岡の名前が消えたのだ。
「『市船と言えば原』という感じになった」
「物凄く悔しかった……もし、原が選ばれていなかったら、悔しさは半減していたと思うのですが、選ばれてから『市船と言えば原』という感じになったので。原がバーレーンに行っている間に、地道にやるべきことをやるしかなかった」
実際、原はAFC U-19選手権で試合をクローズする重要な役割を内山篤監督に託され、高度な守備能力を実戦で発揮した。「U-20W杯出場権獲得」と「無失点での優勝」に大きく貢献し、自身も1ゴールを挙げるなど、その名は一気にサッカーファンの間に知れ渡るようになった。
杉岡が言うように、この大会を境に、「市船と言えば杉岡」から「市船と言えば原」に変わったのだ。
「正直、原のプレーを見ていて、見習うべき点がたくさんあった。ビルドアップも対人も、原と比べて自分は出来ていない部分があった。でも、『自分はまだまだなんだ』と痛感出来て、より向上心が生まれたと思いますよ」
杉岡は湧き出る悔しさを、自らの成長への糧にした。
伸び悩む自分に対し、グングンと伸びて行く原――。
杉岡はこういう境遇になることをうすうす悟っていたのかもしれない。だからこそ、すぐに現実を受け入れ、そこからいきなり成長のスピードが上がった。
「悔しい思いを力にするには練習しか無い。もっともっと自分に厳しく、向上心を持ってやっていかないといけない」