オリンピックへの道BACK NUMBER
「フィギュアスケートに恩返しを」
小塚崇彦が語る、新たな出発の決意。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byShino Seki
posted2017/02/01 07:00
セカンドキャリアで新たな道を歩もうとする小塚。フィギュアへの想いは今もなお熱く、強い。
会社に籍を置きつつ、普及活動に取り組むことに。
出先でも同様だった。
「新横浜で行なわれたジュニアグランプリのとき、徳島のイベントのとき、先日の全日本選手権のとき。『すごく応援していたんだよ』『スケート好きだったんだ』『もう一回滑るときはないの』。いろいろ声をかけてもらえました。『たまには滑っているんですよ』と答えると『そうじゃなくて、表に出てきて滑らないの』と言ってもらったり。
徳島のときには遠方から駆けつけてくれた方もいました。自分で思っていた以上に魅了することはできていたのかな、声をかけてもらえる選手だったんだなと気づかされた。それがいちばん大きかったですね」
決意を胸に会社と話し合いを重ねた。結果、了解を得られ、トヨタに籍を置きつつ、自身の望む活動を始めることが可能になった。
これからどのような活動に取り組んでいくのか。すると、まずは普及を挙げる。
「国内外問わずやりたいですね。ただ教室をやるだけではなく、自分が経験した怪我の恐ろしさ、スポーツをやる上でのクールダウンの大切さ、そういうのも含めた教室をできればいいなと思っています。ベトナムでもスケート教室は続けて行きたい。この前はホーチミンだけでしたが、ハノイとかほかのところでも開ければいいなと思っています。
また、ベトナムをはじめ東南アジアの国々では、連盟がないため大会に出られず困っている選手たちがいると思いますから、連盟を立ち上げるのも1つの目標になります。僕は日本から出ていて誇りに思いました。自分の生まれ育ったところから違う国に行かないと出られない状況を変えて、自国で育って自国で出る、そういう選手が育てばいいなと思っています」
「まずは体を動かして、しっかり練習もしながら……」
高いレベルの大会に出場する選手への指導は考えているのか。
「需要があれば、教えることはできるのかなとは思います。ただ、それも経験が必要だと思いますし、信夫先生にもいっぺんにいろいろなことをやってもうまくいかないと言われていたので、今は普及活動でがんばっていきたいと思います」
そして小塚自身もスケーターとして、例えばアイスショーに出演する可能性はあるのだろうか。
「まずは体を動かして、しっかり練習もしながら戻していきたいと思います。もしオファーをもらえるのであれば、しっかりアイスショーの一員としていいショーができればいいなと思います」
それらの言葉は、氷上に戻ることを意味していた。