オリンピックへの道BACK NUMBER
「フィギュアスケートに恩返しを」
小塚崇彦が語る、新たな出発の決意。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byShino Seki
posted2017/02/01 07:00
セカンドキャリアで新たな道を歩もうとする小塚。フィギュアへの想いは今もなお熱く、強い。
「育ててもらえたものを次の世代に伝える」役割。
「気づいたのが、選手のとき、たくさんの人たちに支えられていたということ。今までも分かっていましたが、それは目に見えている人たちだけだった。でも現場にいなくても、例えば僕がこうしてほしいと言うと、現場から話が行って、現場にいないけれど動いている人たちがいるのを知ったんです。フィギュアスケートをやっているときも、たくさんの人たちに助けてもらっていたんだな、と実感しました。
なのに、フィギュアスケートを終わりにしてしまうのはもったいないなと思いました。これだけ育ててもらえたものを次の世代に、たくさんの人に伝えるのは自分にとっての大切な役割だなと思いました」
では自分に伝えられるものは何かを考え、やがて結論に達した。――スケートの技術を伝えたい。
「信夫先生も父も身近にいすぎて」気付かなかった。
以前「日本のスケート技術は、佐藤信夫先生、小塚君のお父さん、小塚君と受け継がれている」と指摘した指導者がいた。小塚自身は、そうした視点を持っていなかったと言う。
「僕が愚かなところだと思うんですけど、信夫先生も父も身近にいすぎて、いい意味で空気みたいな存在だったので、そんなこと感じていなかったんですよね。でも考えてみると、ゴルフでも野球でも、最初に打ち方や投げ方の癖が決まってしまうように、スケートも基礎が重要です。なのにスケーティングを教えられる先生は限られている。
信夫先生が直接教えられるうちはいいですけど、体力的に衰えていくことも考えられますし、うちの父も、もうおじいちゃんです。自分が教えてもらったものを伝えられる限り伝えていくのが僕の使命かなと思いました。その数少ない先生から教えてもらった技術だからこそ、子供たちに伝えていかないといけない」
何よりも後押しとなったのは、あちこちでかけられた声だった。
リンクに行けば、子供たちから話しかけられた。
「選手やらないなら教えにきてよ」
「どうやったら連絡取れるの」
「時間あるときに教えてね」