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サイ・ヤング賞左腕が歌手デビュー。
大リーガー、数奇な第二の人生。
text by
ナガオ勝司Katsushi Nagao
photograph byGetty Images
posted2017/01/08 11:00
ジートは2015年に全盛期を過ごした古巣アスレチックスで引退。'02年には23勝5敗で最多勝とサイ・ヤング賞に輝いた。
イチロー、上原らと同僚だった中継ぎが突然の引退。
バーバロは2005年のドラフト12巡目(全体353位)指名でマリナーズに入団。2010年、25歳の秋にはメジャーに昇格して、ほんのわずかの期間だったがイチロー(現マーリンズ)ともチームメイトになったことがある。ブレーブス時代に2年連続60試合に救援するなどして主力級の働きを見せたが、右肘靭帯の再生手術を受けるなど怪我に苦しんだ。
2015年には上原浩治(現カブス)と田澤純一(現マーリンズ)のチームメイトとなったが、その年を最後にメジャーリーグから姿を消し、レッドソックス傘下のマイナーAAA級ポータケットでプレーしていた2016年の6月、突然、引退を表明した。メジャーでの通算成績は166試合に登板して7勝9敗、防御率3.23となかなか立派なものである。
地元メディアによると、バーバロが警察官になろうとしたきっかけは大学時代に専攻した刑事司法に、プロ野球選手になってからも興味を持っていたからだったという。在学中の教授たちは同法に精通した元警察官や弁護士ばかりだったそうで、教授たちが自らの人生で経験したことを教わったのが心に響いたのだという。
「僕が元野球選手だというのは、警察学校の全員が知っていた。でも僕は他の誰とも変わらない普通の男さ。普通の男が野球という一つの才能を持っていたというだけのことだよ」
自分なりのキャリアを積めたから、野球に未練はない。
2016年もマイナーで18試合に登板して3勝2敗1セーブ、防御率2.83の好成績を残していただけに、そのままプレーしていれば9月に大リーグ昇格を果たし、再び上原や田澤の同僚になっていた可能性は高い。それでも彼は冷静に自分の未来を考えた。怪我と闘いながら現役生活を続けるのか。それとも自分の好奇心を刺激するまったく違った道に行くのか。答えは明らかだった。
「警察官が危険な仕事だというのは分かっている。だから、今後の目標は? と訊かれれば、毎日、人々の安全を守りながら、自分自身も毎日、無事に家に帰ることになる。野球界で自分なりのキャリアを積めたと思っているし、野球に未練はないよ」