Number ExBACK NUMBER

荒川区町屋に生まれて――。
カープ鈴木誠也、親友が明かす秘話。 

text by

Number編集部

Number編集部Sports Graphic Number

PROFILE

photograph byHideki Sugiyama

posted2016/09/26 18:30

荒川区町屋に生まれて――。カープ鈴木誠也、親友が明かす秘話。<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

リトル時代のやんちゃな面影が今も残る誠也。その彼が、優勝を決めた9月10日の夜、祝勝会を抜け出した、その理由は……本誌でご確認ください!

誠也目当てに、全国から練習試合の申込みが。

 チームを立ち上げて8年目を迎えていた石墳さんにとって、誠也は史上最高の選手だったという。

「打つ、投げる、走る、すべてにおいて周りの子より頭2つ、3つは抜きんでていました。当時はピッチャーをやらせていたんですけど、リトルだとマウンドが通常より約4m手前になるもんだから『体感で150kmくらい出てるんじゃないか』と評判になるくらい速かったですね。シニアになってからも、噂を聞きつけて全国の強豪チームから練習試合の申し込みが殺到して。あの頃から、『一目見たい』と思わせる選手だったんでしょうね」

 現在大学4年生の松村さんは、小6で初めて出会った誠也の印象を「先輩かと思った」と語る。

「荒川シニアの練習見学に行ったときに、キャッチボールの相手をしてくれたのが荒川リトルに所属していた誠也だったんです。体も大きくて見た目もいかついし、何より球がめちゃめちゃ速かったんでずっと敬語で話していました(笑)」

 このときのことは、誠也も覚えていた。

「実は、僕も健のことを先輩だと思っていたんですよ。よそのチームの中学生が見学に来たのかなって。後にキャプテンをやるだけあって当時から何か落ち着いていたというか、だから僕も敬語を使ってましたね(笑)」

 石墳さんは今でも「史上最高のキャプテンと選手が同じ代に揃うなんて」と、しみじみ振り返る。類まれなリーダーシップを持つ松村さんと、野球選手としての才能を持つ誠也。2人が仲良くなるのに、時間はかからなかった。

 この物語の続きは、発売中のNumber911号の「鈴木誠也が“神る”まで」をお読みください。都電荒川線をこよなく愛するライターの村瀬秀信さんが、遠く町屋に生まれた誠也が広島でブレイクするまでの過程を取材しました。取材結果を基に、本人への検証インタビューも行なっています。
BACK 1 2
鈴木誠也
黒田博樹
新井貴浩
菊池涼介
田中広輔
広島東洋カープ

プロ野球の前後の記事

ページトップ