Number ExBACK NUMBER
荒川区町屋に生まれて――。
カープ鈴木誠也、親友が明かす秘話。
posted2016/09/26 18:30
text by
Number編集部Sports Graphic Number
photograph by
Hideki Sugiyama
「みんなに愛されてるからだと思います」
躍進目覚ましいカープの鈴木誠也に、黒田博樹と新井貴浩が長く活躍できているのはどうしてだと思うか尋ねたときの答えである。
「黒田さんや新井さんと話をしている相手の人の顔を見ているとわかるんです、好かれてんなあって。どうしたらああいう人柄になれるんですかね、僕も年齢を重ねたらそのうちわかるようになるのか……」
そんなことを漏らしつつ、当の誠也もカープのチームメイトやファンから愛される存在になり始めている。
たとえば菊池涼介は「誠也はやんちゃですけど、言えば聞く子だから」とその素直さを好意的に受け止めれば、丸佳浩は凡退して苛立つ誠也の姿から「打撃に関しては本当に完璧主義なんだな」と意識の高さを感じている。東海大相模、東海大、JR東日本とアマチュア球界の王道を歩んできた田中広輔にいたっては、なんと5歳も下の誠也からプロフェッショナリズムを学んでいた。
「僕はずっと一戦必勝の世界で生きてきたので、自分の結果が出なくともチームが勝てばそれでいいと思ってしまうんですけど、誠也を見ていると自分への厳しさというか、プロで生き抜くにはそういう姿勢も大事なんだなと考えさせられますね」
その猛特訓が「平成の星親子」とテレビ番組でも話題に。
入団4年目の弱冠22歳にしてチーム1位の打率3割3分7厘、29本塁打、同2位の95打点(9月26日現在)とすっかり打線の柱になった誠也だが、実はカープ入団まで広島とは縁がなかった。
生まれも育ちも、東京は荒川区町屋。『巨人の星』で星親子が暮らしていた街ということもあり、父・宗人さんとの猛特訓が「平成の星親子」としてテレビ番組で紹介されたことでも有名だ。
この成績を残せる打力と、先輩たちも認める野球へのストイックな姿勢、そして広島の街にすぐに溶け込めた愛すべきキャラクターは、いったいどのようにして育まれたのか。誠也が小、中学生時代にプレーした荒川リトルシニアの事務局長・石墳成良さんと、シニア時代の同期でキャプテンを務めていた松村健さんに話を聞いた。