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競泳・山田拓朗が見事に銅メダル!
13歳のパラ初出場から12年目の結実。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byPress Association/AFLO
posted2016/09/15 11:00
50mフリースタイル決勝の表彰台にで。左から銀のマジソン・エリオット(オーストラリア)、金のマシュー・ワイリー(イギリス)、山田拓朗。
身体の左右バランス、スタート時の挙動……課題は多い。
技術的な面では、特に身体の左右のバランスをいかにしてとるのか、長年にわたり試行錯誤してきた。
「最近は安定感があるので重く水をとらえても、体がブレないという変化は感じています」
と、自信を持ってその手ごたえを語れるところまで改善した。
スタートも、課題として抱えてきた1つだった。
入水の姿勢、ドルフィンキックの打ち始め……それらを思いつく限り何パターンも試しながら、キックの後に、いかにスムーズに身体を浮上させるかも考えつつ、練習を重ねてきた。
その辛い練習の支えとなったのが、どこまでも速くなりたい、世界で勝負したいという強い思いだ。
共に練習をする選手を見て、思いは強くなった。
山田は小学生の中途から、スイミングクラブの選手コースに移り、健常者と同じ練習をこなし、競い合った。
「オリンピックを目指しているみんなと遜色のない泳ぎをしていたので、僕も(パラリンピックではなく)オリンピックを目指していました」
のちに進んだ筑波大学の水泳部にも、オリンピックを現実に視野に入れる選手たちがいた。
そんな環境にあって、もっと速く泳げるようになりたいという思いは、より強くなっていったという。どんな条件、環境にあっても、置かれたそのときどきの環境を貪欲に糧とすることができたのは、山田自身の“意識の高さ”があってこそ。
その過程を経て、ようやく手にした銅メダルだったから、山田は「重い」と語ったのだ。