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競泳・山田拓朗が見事に銅メダル!
13歳のパラ初出場から12年目の結実。
posted2016/09/15 11:00
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
Press Association/AFLO
表彰台でかけられた銅メダルを、愛おしそうに手にすると、耳元で振った。
「けっこう重いですね。単純に重さもそうですし、12年の重みがつまっているなと」
何度も辛酸をなめた大舞台でついに手にしたメダルに、しみじみと口にする。
9月13日。50m自由形(S9)で、山田拓朗が銅メダルを獲得した。
決勝のスタートのリアクションタイムは0秒67。8人中最速で飛び込む。浮き上がり、2番手につけた山田は、快調に飛ばし、先頭争いを続ける。激しい争いは、瞬く間に決着を迎える。
タッチすると、電光掲示板に表示されたタイムは26秒00。
トップが25秒95、2位が25秒99。僅差の3位だった。
13歳の時、パラリンピックに日本史上最年少で出場。
25歳の山田にとって、リオデジャネイロは4度目のパラリンピックだった。
初めて出場したのは2004年のアテネ。実に13歳、中学1年生のときである。今なお、日本史上最年少出場記録だ。
山田は、生まれつき左腕の肘から先がなかった。
水泳を始めたのは3歳の頃。水を嫌う息子を心配した母が、スイミングクラブに通わせたのがきっかけだった。今の姿を考えると、その逸話がまるで嘘のように思える。
スイミングクラブに足を踏み入れてからすぐ泳ぎに打ち込むようになった山田は、2度目のパラリンピックとなった北京で100m自由形5位、ロンドンでは50m自由形で4位入賞を果たした。いきなり有名選手になったのではない。階段を上るように、徐々に力をつけ前へ進んできたのだ。
ただわずかなステップアップに対して、もどかしさもあったという。メダルを狙える位置にいながら、あと少しのところで手にすることができない。そのたびに勝負の難しさを知り、悔しさも味わってきた。
今度こそ、メダルを。その決意は、決勝の26秒の中に込められていた。