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イチローがメジャー上陸した2001年。
ジーターやA・ロッドがその衝撃を語る。
posted2016/07/29 17:30
text by
ナガオ勝司Katsushi Nagao
photograph by
Naoya Sanuki
ルー・ピネラ元マリナーズ監督が7月、「イチローの通算3000安打について」の電話会見を開いた。1990年にワールドシリーズ優勝を果たしたのがレッズ時代であり、現在も編成部門の顧問を務めているため、かつてピネラが指揮を取ったマリナーズやカブスなどの球団ではなく、レッズの広報が音頭を取ってのものだった。
最初の質問はやはり、イチローがデビューして新人王と最優秀選手賞を獲得し、マリナーズがア・リーグ西地区を史上最多タイの年間116勝で制した2001年のことである。
「日本にいた頃にマリナーズのキャンプに招待し、2000年のオフに契約するチャンスが生まれたわけだが、それはマリナーズにとって、とても素晴らしい契約となった」
いろいろと思い出す。イチローがメジャー挑戦を開始した2001年、筆者はボストンのフェンウェイパークを中心に取材していた。レッドソックスに野茂英雄と大家友和両投手がいたこともあり、イチローや彼を取り巻く日本のメディアの喧噪を外から眺める形で、対戦相手だのチームメイトだのの取材に追われていた。
ジーター「野球を楽しんでやがるんだなぁって」
「正直に言うけど、プロに入ってからショートを守っていて、こんなにプレッシャーを感じたことは今までないよ」
そう言ったのは当時、イチローと同じ27歳だったデレク・ジーター(ヤンキース)である。
「ウチ(旧ヤンキースタジアム)に来た時、何でもかんでもやりたい放題だったから、走者として二塁に来た時に『おいおい、ちょっとはスローダウンしてくれないか?』って言ってやったんだけど、彼ったら、嬉しそうに笑いやがってね。あ、こいつも俺やほかの選手と一緒で、メジャーリーグで野球を楽しんでやがるんだなぁって思ったよ」
そうジーターは話してくれた。フェンウェイパークの“レッドソックス対ヤンキース”と言えば、今も昔もメジャー屈指の黄金カードだが、当時はそこに“ジーター対ノーマー・ガルシアパーラー”という新世代のスーパースター対決も含まれていた。