オリンピックへの道BACK NUMBER
親族、選手への“傲慢”な報道姿勢。
リオ五輪中継でも繰り返されるのか。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byJMPA
posted2016/07/12 11:00
ロンドン五輪から4年、吉田沙保里は今度こそ近しい人々に金獲得の瞬間を見せられるのだろうか。
上村愛子も味わった取材陣の“傲慢”。
こうした事態は、吉田の母のみに起きたことではない。選手の親族や友人をめぐって、オリンピックのたびに、繰り返されてきたことでもある。
例えば、Number本誌の記事で触れたこともあるが、2002年のソルトレイクシティ五輪のあと、スキー・モーグルの上村愛子が、こう語ったのを思い出す。
「お母さんがソルトレイクまで見に来てくれたんだけど、レースが始まった途端、席をカメラがバーッと囲んだんですね。それで遮られちゃった。今の心境を一言、みたいにマイク突きつけられて。でもそんな風にされて言うもんじゃないから、『ちょっとお願い。レース観させてください』と」
お願いすると、テレビのスタッフからはこう返されたと言う。
「何よ、一言ぐらい言ってくれたら、それで帰るわよ」
上村はこう続けた。
「でも怒ったら怒ったで、そこだけ使われる。それも怖いし……結局お母さんは、ゴールして手を上げたところしか観られなかったんですよね……」
周囲の観客席に座っている人をも巻き込む。
先に記したように、こうしたできごとは限られた話ではない。大会のたびに、耳にした。選手の両親であったり、近しい人であったり、カメラを向けられる人たちがいた。選手や、その周囲の人は言う。
「もっと試合を集中して観たかったんですけど」
「観た気がしなかったです」
「まわりにご迷惑にならなかったでしょうか」
カメラが囲むということは、周囲の観客席に座っている人をも巻き込む。その申し訳なさを語る方もいた。
そうした話を聞くたび、考えざるを得ない。
子どもを、友人を応援したい、晴れ舞台を観たいから、自費で高い料金を払って、現地へ駆けつける。そこで、満足にその姿を観られなかったら、どう感じるだろうか、と。