ボクシング拳坤一擲BACK NUMBER
壊れた右拳でKOを狙う余裕のV2。
井上尚弥、ロマゴン以外は問題外?
text by
渋谷淳Jun Shibuya
photograph byHiroaki Yamaguchi
posted2016/05/09 11:30
試合後に「足を使って、逃げ切って勝つならいくらでもできる」と豪語した井上。予想外のタフな試合は、むしろ良い経験になったはず。
なぜ井上は2回からスローペースにしたのか?
しかし、井上はフィニッシュを急がず、2回に入るとブレーキの上に軽く足を乗せたかのように、静かに減速した。予想以上にカルモナのディフェンスがよかったからか。試合後、本人が明かした事実は「右の拳に異変が生じた」。つまり右の拳を痛めてしまったのだ。
この時点で、インパクトのある圧倒的な勝利はいばらの道となった。
強打を打ち込めなくなった井上は距離をキープし、出入りのスピードで試合をコントロールした。拳の状態を考え、5回に勝負に打って出る。何度か右ストレートがヒットし、カルモナに襲い掛かったが、これまでのように対戦相手がバッタリとキャンバスに転がることはなかった。カルモナの打たれ強さもあったかもしれないが、やはり拳の影響があり、パンチの威力がいくらかダウンしていたのだろう。
6回の時点で「もう右を強く打つことはできない」と感じた井上は、7回から左中心の足を使ったボクシングにはっきりシフトした。実はセコンドに右拳の異常を伝えたのもこのときだ。父でもある井上真吾トレーナーでさえ「拳が使えないんじゃ、アドバイスのしようもない」という状態だったという。
自分に課せられた使命を、よく理解していた井上。
井上は左だけで巧みに試合をコントロールし、拳の状態と対話しながら、いかにしてKO勝利に到達できるか考えていた。
「焦り? いや、負ける焦りはなかったです。ただ、ここ2戦いい形できて、インパクトのある試合をしたいという焦りはあった。足を使って圧倒的にポイントを取るだけなら問題なかったけど……」
相手は有名選手ではないとはいえ、それなりの実績を重ねてきたランキング1位の指名挑戦者だ。万全の状態であっても、圧勝はたやすい作業ではない。
それでも井上は、インパクトのある勝利を目指して果敢に攻めていった。
自らに課せられた使命を、このチャンピオンは十分に理解しているのだ。
最終12回は「もう最後だからいくしかない」と心に決めて前へ。結局KO勝利はならなかったが、最後にダウンを奪い、厳しい状況で王者のプライドを示した。