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<最後の日本人取材者の記憶>
病床でも、クライフはクライフだった。
posted2016/05/02 07:00
text by
豊福晋Shin Toyofuku
photograph by
Daisuke Nakashima
ヨハン・クライフと最後に話したのは、街に北風が吹きはじめた昨秋のことだった。
高級住宅街サリアの一角にある緑豊かな邸宅の門を開くと、クライフ財団のオフィスがある。窓からは手入れの行き届いた英国調の庭園が見え、一本の大きな樹が空に向かって葉を広げていた。
クライフは、いつものクライフだった。
病床の男の弱々しさはない。2週間前に肺癌を公表していたけれど、その佇まいや口調、独特のオーラは少しも変わっておらず、どこか安心したことを覚えている。
辛口だった。そう、いつものように。
厳しい言葉に、隠しきれないサッカーへの愛。
「今のバルセロナは」
大事なことを諭すように、彼は膝の前で小さく手を広げた。
「連動したプレー、選手間の距離、プレスのかけ方が変わってしまった。ネイマールもスアレスも素晴らしい選手ですが、彼らにはスペースが必要です」
クライフには語るべきことがあった。
もっと若手を起用すべきだということ。
培ってきたバルサのアイデンティティを捨てるべきではないということ。
サッカーとは勝敗を超えた喜びであるべきだということ。
厳しい言葉の陰から、隠しきれないサッカーへの愛が、時折顔をのぞかせた。