“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
U-23の守護神はこうして生まれた……。
GK櫛引政敏を見守る、ふたりの恩師。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakuya Sugiyama
posted2016/01/30 07:00
ファインセーブで何度も手倉森ジャパンの危機を救った櫛引。この1月には期限付き移籍で鹿島アントラーズに活躍の場を移すことが発表された。
「櫛引をプロにするために、ウチで指導を」
「マサを育てるには、『ただのGKコーチ』ではダメだった。『ただのGKコーチ』はシュートストップとか、細かいステップワークを鍛えるのに大半を費やしてしまう。でも基本的に失点の多くは、GKのポジションミス、判断ミスが影響しているんです。特にマサはそれが多かったからこそ、判断やポジショニングの細部にまでこだわるGKコーチが必要だった。そう考えたときに、適任が湯田だった」(黒田)
ある大会で青森山田と桐生第一が一緒になったとき、黒田は湯田にGKコーチの打診をした。
「櫛引をプロにするために、ウチで指導して育てて欲しい」
この一言に湯田の心が動かない訳が無かった。
「わかりました、任せてください」
「裏付けの無い読み」を最初に無くさせた。
このやり取りがあったのは、選手権の直後のこと。
ちょうどこの時、湯田は桐生第一をこの年度(2008年度)で辞め、翌年度からは関東第一高校(東京)でGKコーチをすることになっていた。ベースはフリーのGKコーチである湯田は、黒田の要請を受け、1カ月のうち1週間青森に住み込んで青森山田を指導し、残りの3週間は関東第一の指導をすることになった。関東遠征があるときは、青森山田に帯同をする。湯田の、青森と東京を頻繁に行き来する忙しい生活が始まった。
「最初に見たとき、正直『全然教えられていないな』と思った。でも同時に、『教えられていない中で、これだけシュートストップやダイビングか出来るんだ』とも思った。素材の良さは凄く感じたけど、感覚だけでやっていて、チャレンジするタイミングとか、空間把握能力も大したことがなかった」(湯田)
才能を感じさせながらも粗さが目立っていたという櫛引に、湯田は最初どう接したのか。
「まず、『裏付けの無い読み』を直すことから始めました。マサは『ここに来るだろう』と勝手に読んでしまって、シュートストップのときに先に倒れ込んでいく。その結果、別の方向に決められてしまうことが多かった。選手権での大迫のゴールもまさにそれだった。我慢してじっくりと相手とボールを見て、正確に判断してから飛ぶということが出来なかった。なので、『勝手に読ませない』ことから着手しました。相手の重心の掛け方、スタンス、身体の向きなど――材料をしっかりと掴んで、裏付けのある判断をして反応することを、細かく、くどいほど教えこんだ」