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高校生が浦和に入団するという意味――。
作陽の10番・伊藤涼太郎が下した決断。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2015/10/26 10:30
セレッソジュニアユース出身の伊藤は故郷を離れた作陽高校で武器を磨き、浦和のスカウト陣から注目を受ける存在となった。
中3の夏に下された厳しい評価。
はっきりとこう言い切る言葉の端々に、彼の覚悟が窺い知れる。彼が見つめる先は、Jリーガーになることではなく、その先にあるA代表、そして世界。その目標を達成するには非常に厳しく険しい道を歩んでいかなければならないとよく理解しているからこそ、周りにネガティブなことを言われても、決意は揺るがなかった。
「世界に行くためには、A代表に選ばれないといけない。そこから逆算したときに、レッズでチャレンジすることは大きな意味を持っています」
大阪で生まれ育った伊藤は、AVANTI KANSAI FCからセレッソ大阪U-15に進み、技術を磨いた。しかし、中3の夏に彼にくだされた評価は、「U-18チームへの昇格見送り」だった。
「本当に悔しかった。でも、『なぜ』という思いよりも、『自分に足りない物が多すぎる』と感じていた。守備も上手くはなかったし、格下の相手だと得意のドリブルやラストパスが出せるのに、強いチームになるとチャンスに絡む数が極端に減っていた。なので、薄々(U-18への昇格は)その時点での自分の力では厳しいとは思っていた。
でも、このまま終わってはいけないと思ったし、自分のプレースタイルをより磨いて勝負していくために、高校サッカーでもう一度自分を鍛え直そうと考えた。絶対に見返してやりたかったし、プロでやりたいという気持ちがもっと強くなりました」
故郷を離れた作陽高校で磨いた武器。
何が何でもプロになる。不合格のジャッジをくだされた彼は、知り合いのコーチの紹介で練習参加した作陽高校で、その決意をプレーで表現した。
「初めて見た時、身体が小さいけど、技術はしっかりしていて、質の高いスルーパスを出せる選手だった。絶妙なタイミングで出すし、動きながら周りを見て判断を変えられる。持っているものは、(OBの)青山敏弘(広島)に通じていて、間接視野が凄い。『いつ見ていたんだ』というタイミングでパスを通す。発想力、頭の回転の速さが一緒だった。それにとても意欲的だったし、早生まれなので、そのうち身体の成長が追いついてくれば、面白い存在になると思った」
知将で知られる野村雅之監督の眼に止まり、伊藤は地元・大阪を離れ、岡山県津山市にある作陽高校への進学を決めた。作陽は野村監督の下、組織的でかつ流動性の高いサッカーが特色で、パスをしっかりと繋ぎ、何よりも選手達の戦術理解度が高いチームとして知られている。
ここで伊藤は自らの武器に磨きをかけるだけでなく、そのタイミングと質、そしてフットボールインテリジェンスを身につけた。そこには野村監督の綿密な育成計画があった。