猛牛のささやきBACK NUMBER
ケガと戦い200%でプレーした169cm。
平野恵一がユニフォームを脱ぐ。
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph byKYODO
posted2015/10/07 10:40
桐蔭学園、東海大を経て、自由枠でオリックス入りして14年。ベストナインとゴールデングラブ賞が2回ずつ。通算打率は.279だった。
1000%でやったので、やり残したことはない。
しかしその経験が、その後、長く現役を続ける原動力にもなった。
「自分はもう1回死んでるんだから、恐怖心よりも、その時支えてくださったトレーナーの方々や治療の先生、家族、ファンの皆様、そういう人たちに絶対いいプレーを見せるんだ、という気持ちのほうが強かった。支えてよかったと思わせたい、恩返しするんだという気持ちだけでやってきました」
やり残したことは、と問われて、「ないですね。常に200%、300%……1000%でやってきたつもりなので」と、清々しい表情で締めくくった。
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一方、チームメイトの表情はそれとは対照的だった。
その背中は後輩たちの目標だった。
同じ小柄なガッツマンとして、平野を目標に掲げ、平野も後継者と認めていたルーキーの西野真弘は、「僕が1年目で引退されるなんて……。もっと一緒にやりたかった。恵一さんの大きな背中を、見た目は小さいかもしれないけど、僕にとっては大きな背中を、もっと近くで見ていたかった」と師匠の引退を惜しんだ。
駿太も、「ショックでした。いつ戻ってきてくれるんだろうと思ってやっていたので。久しぶりに恵一さんの名前を聞いたと思ったら……」と神妙な表情で絞り出すように言った。
特に若い選手にとっては、ベンチの中の先生のような存在であり、兄貴分でもあった。駿太はこう続けた。
「僕がミスした時とか、いいタイミングでパッと声をかけてくれる。しかも単に慰めるだけじゃなく、『あそこはこうするべきだったな』とか『こう考えておけば、どうだったかな』と具体的に指摘してくれるので、次にいかせました。『これも勉強だな』と口癖のように言われていました」
個々にアドバイスを与えるだけでなく、チーム全体に働きかけることも多かった。特に存在感を発揮したのは、昨年、優勝争いの佳境だった9月だ。