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ランディ・バースが明かす、
日本で戦った最高の投手とは?
posted2015/09/16 10:45
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph by
Makoto Kemmisaki
ランディ・バース、掛布雅之、岡田彰布に代打・川藤幸三……。いまテレビで流れるNTTドコモのCMではないが、阪神球団史上ただ1度の日本一に輝いた1985年のシーズンを象徴するのは、史上最強とも言われたこのクリーンアップトリオだった。
その核となったのが最強の助っ人、ランディ・バース。不動の3番打者として、この年54本塁打、打率3割5分、134打点で三冠王を獲得。伝説の助っ人として阪神ファンからは「神様」とも呼ばれる男が、30年ぶりに語る1985年のシーズンとは――。
「私が(本塁打を)前の年の2倍打ったからね(笑)」
――バースさんの印象に残っている1985年の阪神は、どんなチームでしたか?
「パワーのあるチームだったね。掛布、岡田、真弓(明信)……みんな力があっていいチームだったよ。だからあのシーズンが始まる前には、自分がもう少しうまくいって、打てれば優勝も夢ではないんじゃないかという感触はあったんだ。ピッチャーは弱かったけど、打線でカバーできるくらいのパワーがあった。結果的には私が(本塁打を)前の年の2倍打ったからね(笑)。だから思っていた通り、優勝を手にできたというわけさ」
――優勝の予感はあったということですね。
「そう。あの前の年に安藤(統男)さんが監督を辞任して、吉田さんが監督になったんだけど、'85年のチームを作ったのは安藤さんだった。前の年に私の契約の問題で色々と新聞に書かれたときにも(外国人選手枠のからみでバースの解雇が取り沙汰されていた)、安藤さんはわざわざ私を呼んで『ランディ、君は大切なプレーヤーだし、絶対に首にはしないから安心してプレーしてくれ。このままやってくれれば、これからもっと良くなるはずだよ』と言ってくれた。彼は私のことを理解してくれていたし、私もすごく好きだった。安藤さんが'85年も指揮を執れなかったのは悲しいことだったし、今でも悪いことをしたと思っている」
――つまり'85年の優勝は'84年の安藤前監督のチーム作りの成果でもあったということですね。
「そういうことだね。あの年に急に強くなったわけじゃないということだよ。そういう下地があって、あの年は結果がでたということなんだ。そのひとつのきっかけになったのが、甲子園球場の巨人戦で飛び出した3連発だった。あれで巨人を倒せるという自信が芽生えたのが大きかったと思うよ」