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ランディ・バースが明かす、
日本で戦った最高の投手とは? 

text by

鷲田康

鷲田康Yasushi Washida

PROFILE

photograph byMakoto Kemmisaki

posted2015/09/16 10:45

ランディ・バースが明かす、日本で戦った最高の投手とは?<Number Web> photograph by Makoto Kemmisaki

言わずと知れた、阪神の伝説的助っ人バース氏。現在はオクラホマ州議会の議員を務める。

「江川は本当にファンタスティックだった」

――対戦した投手で印象に残っているのは?

「巨人の江川(卓)は本当にファンタスティックだった。あの年ではないけど翌年に7試合連続本塁打を記録した最後の試合が、日本での最高の思い出なんだ。あの日は1日、雨が降っていて野球日和ではなかったんだけどね。巨人の王(貞治)監督は江川を投げさせる予定だったから、試合をやりたかったんだと思うよ(笑)。その中で江川と対戦して4打席目まで打てなかった。そして第5打席でフルカウントから彼が投げたのはストレートだったんだ! それを私が場外にホームランしたんだけど、最高の思い出となったのは記録や飛距離だけではないんだよ。江川が勝負してくれたことが忘れられない最高の思い出を作ってくれたんだ。江川は素晴らしいピッチャーだったし、いつも勝負してきた。敬意を表するし、尊敬もしている。いい勝負だったし、その勝負に私は勝ったんだ」

――日本の投手で勝負してきたのは江川さんぐらいですか?

「もちろん広島の大野(豊)、川口(和久)という左腕の2人は、私だけじゃなく、どの左バッターにとっても厄介だったと思うよ。巨人の角(三男、1985年当時の登録名)もよく対戦したな。中日の小松(辰雄)はボールが速かったし、大洋の遠藤(一彦)のフォークは消えたね(笑)。偉大な素晴らしいピッチャーはまだまだいたけど、やっぱり江川は特別だったよ」

  各球団のエースと比べても、江川は別格だったと語るバース。<後編>では、真っ向勝負を避けたがる日本の投手に対抗するために学んだこと、そして、マートンやゴメスが今も悩まされている“日本独自のストライクゾーン”にどう対処したのか、その極意を明かしてくれた。
#2に続く
今も助っ人外国人を悩ませる問題に、1985年のバースはどう対応したのか?
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吉田義男はこう振り返る。
「あの年はとにかく打った、打ったという話になりますが、どんな状況でも個々の選手が自分の仕事をきちっとこなしてくれた。それがあの年の阪神の強さでした」

<本体1500円+税/鷲田康・著>

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