甲子園の風BACK NUMBER
聖光学院、9年連続甲子園の裏側。
「我の強い」集団がチームになるまで。
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byGenki Taguchi
posted2015/07/28 11:35
「9連覇といっても毎年違うチームで戦っているわけですから……今年は今年のチームとして褒めてやりたいです」と語った斎藤監督。甲子園での最高記録は8強。今夏はそれを越えられるか?
野球において、「力がある」と「力を出す」とは違う。
Bチームを指揮する横山の危惧は、聖光学院の指導者全員の悩みの種でもあった。
彼らが新チームになると同時に、Aチームのコーチを任されることとなった石田が回想する。
「あの子たちは純粋に野球の技術は高いんです。でも、『力がある』と『力を出す』はイコールではない。10の力を試合でも10出せるかとなった時、秋の時点ではそれができなかった。それはなぜかというと、あの子たちの心のなかに『俺がメンバーだ!』という意識が強かったから。人間性というか、目に見えない力が全く磨かれていなかったんです。だから結果的に、『能力は高いけど個性がないチーム』としてスタートしてしまったんでしょうね」
それは、秋季大会で準々決勝敗退。9年ぶりに東北大会の出場を逃すという、前年以上の屈辱を味わう結果へとつながった。
「夏は甲子園でベスト8。新チームの選手たちには、国体を控える3年生たちと切磋琢磨させながら練習させたし、それなりにプレッシャーも与え続けていたつもりですが、なかなかうまくいきませんね。ないものねだりしても仕方がないので、状況を見ながらチーム作りをしていきますよ」
敗戦後、斎藤監督はそう言って気丈に振舞ってはいた。しかし、本来ならば責任感を重く受け止めなければならない選手たちの危機感は、驚くほど薄かった。
なぜ控え選手の三浦をキャプテンにしたのか?
レギュラークラスの主張がチーム内に跋扈する――「俺たちがレギュラーなんだから」。そんな雰囲気を醸し出されるたびに控え選手たちは辟易し、練習に身が入らなくなる。複雑なチームを、「変えてみせる」と言わんばかりに立ち上がったのが、控え選手でありながら主将を務める三浦だった。
斎藤監督が「人間性で判断したとき、三浦以外に適任者はいなかった」と太鼓判を押すように、「僕はレギュラーじゃないからといって遠慮したことはないです」と言ってのける熱血漢である。その三浦が、当時のチーム状況を厳しく指摘したことがあった。
「秋は自分たちに負けたんです。強い相手には『やるぞ!』と向かっていくのに、ちょっとでも格下だと判断すると甘く見るというか。僕がキャプテンに任命されたからには、絶対に隙を見せたくない。言いたいことははっきり伝えていかなくてはいけないな、と」