マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
「あいつにつなげばなんとかなる」
一挙8点生んだ清宮幸太郎の存在感。
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph byHideki Sugiyama
posted2015/07/28 11:00
打席での迫力満点の姿と、プレー外でのほんわかした雰囲気のギャップも清宮幸太郎人気の理由の一つ。甲子園に怪物がやってくる。
「手が巧い」と「バットコントロール」の違い。
タテの速い変化。
実は1つ前の日大三高戦から、清宮幸太郎にはっきりした“課題”が見えていた。
日大三高の長身右腕・小谷野楽夕(2年)のタテのスライダーに、2打席続けて空振りの三振を喫していた。おそらく、初めて見たほどのタテの鋭い変化だったのではなかったか。
“手が巧い”から、どうしても手が出る。
手が巧い――それは野球ではほめ言葉ではない。
「バットコントロール」という言葉があるが、これは決して「手が巧い」と同義語ではない。
しっかりトップの姿勢がとれ、そこからまず下半身で踏み込めて、両腕が体に巻きついてくるようにして、各コースに向かってスイングされてこそ、本当のバットコントロール。つまりバットコントロールとは、全身の連動によって生まれる技術である。
実はこの試合、その見事なお手本が相手チームの選手の中にいた。
東海大菅生・江藤勇治一塁手。3番を打つ痩身の左バッターだ。
1つ前での國學院久我山戦でも、足元のスライダーを読みきったように拾ってライトスタンドに放り込んでいる。そしてこの試合でも、先制の4点を奪った3回に、やはり難しい内角のスライダーに対し両腕をたたみ込むようにしてライトスタンド最前列に持っていった。そのバットコントロールは、まさに芸術的な技術と称賛してもよいだろう。
東海大菅生・江藤選手のスイングは必ず下半身から始動している。軸足の親指から回転が始まって、それがヒザ、腰と順々に上の回転に伝わって、それから上体に巻きつくようにしてスイングが始まる。
腕がバットを振っているのではなく、下半身の回転によってバットが勝手に振られるメカニズムだから、グリップが最後まで頭の後ろに残っている。だから、思わぬ変化に遭遇しても、グリップが止められる。
いかに怪童とはいえ、甲子園予選は簡単ではなかったか。
清宮幸太郎を弁護するわけじゃないが、夏前の練習試合の彼は、そうしたバットコントロールがそこそこ出来ていた。
速球と同じ腕の振りからのタテのスライダー、フォークを見極めて、打つべきか打つべきではないか、その選別ができていた。
舞台が変わって、今は夏の甲子園予選だ。
いかに、“怪童・清宮幸太郎”であっても、何もかも違う今の環境では、練習試合のように気持ちをフラットに保つことも簡単ではない……ということなのだろう。
逆にいえば彼は、こういう場面でこそ大きな仕事を期待される人間でもある。足りない部分、不完全な部分については、なるべく自分の近くにお手本を探して、期待に応えられる技術を身につけていくことが、これからの彼の責務なのかもしれない。