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常にラグビー界の先頭を走っていた。
上田昭夫さんの表情が忘れられない。
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph byAFLO
posted2015/07/26 10:50
1980年代に、慶應ラグビー部の監督を務めていた頃の上田昭夫さん。過去30年で、日本選手権を制した大学は早稲田と慶應の2つしかない。
グラウンドの外、仕組みでたぐり寄せた優勝。
時代は有望な選手をいかに確保するかが重要になり、スポーツ推薦枠のない慶應にとっては厳しい時代だったが、活用できる制度を最大限に利用したことで、慶応には高校日本代表クラスの選手がそろった。
そしてグラウンドの指導では、卒業生の林雅人氏をフルタイムのコーチに招き、強化体制を整えた。
上田さんはグラウンド外の部分、仕組み作りで優勝をたぐり寄せたといえるだろう。アメリカ型の「ディレクター」という立場で強化に当たっていたわけだが、これも時代に先んじていた。
いつも、一歩先を走っていた人だった。
とにかく、先頭を走ろうという意欲がみなぎっている人だった。
2019年の日本でのラグビーW杯を見たかったに違いない。
同時に、真っ直ぐな人でもあった。
Numberでの連載をまとめた『慶応ラグビー 百年の歓喜』を上梓したとき、上田さんにはどうしても納得できない部分があった。
「生島さん、1970年代の記述だけど、俺が思っているのとはちょっと違うんだ」
思っていることを、そうストレートに話してくれた。
思ったことを素直にぶつけてくる人は、日本では少ない。このときの上田さんの真剣な表情は、今も忘れられない。
きっと、2019年のワールドカップをその目で見たかっただろうな……と思う。
ラグビー界の貴重な人材が、また先立ってしまった。