スポーツ・インサイドアウトBACK NUMBER
スイッチピッチャーと綺想の系譜。
~遅咲きの29歳ヴェンディッティ~
text by
芝山幹郎Mikio Shibayama
photograph byGetty Images
posted2015/06/13 11:00
2008年のプロデビュー戦でスイッチヒッターと対戦し、「ヴェンディッティ・ルール」を生んだパット・ヴェンディッティ。イタリア系4世で、2013年のWBCにもイタリア代表として出場した。
スイッチ同士の対戦用には、特別ルールがある。
ところが、次打者が問題だった。打席に入ろうとしたのは、スイッチヒッターのブレイク・スワイハートだったのだ。
これが子供の野球なら、投手と打者が互いに優位に立とうとして、無際限の堂々めぐりがはじまる。投手が左投げを選択すれば、打者は右打ちを選択する。すると投手は、グラヴをはめ替えて右投げに変更する。打者は負けじと左打席に移る……とまあ、こんな事態が起こっては仕方がないので、大リーグには通称「ヴェンディッティ・ルール」という規則が存在する。両投げの投手と両打ちの打者が対戦する場合には、「投手がまず、どちらの手で投げるかを明言し、そののち打者が打席を選択する」というきまりがあるのだ。
ビデオを見ると、このときのヴェンディッティはちょっとあやふやな態度をとっている。右手にグラヴ(ミズノ製の6本指グラヴだ。20年前のハリスもこれを使っていた)をはめて左で投げるしぐさを見せたのち、あわてて球審に歩み寄り、右投げを明言したのだ。明言する前の口の形を見ると「マイ・ミステイク」と言い訳をしている。球審は変更を認め、右投げ対左打ちの勝負が開始された。結果は、スワイハートの三振。決め球は117キロのチェンジアップだった。
両投げが出来るようになったのは3歳から。
ヴェンディッティは今年の6月30日に30歳を迎える遅咲きの投手だ。もともとは右投げだったが、3歳時から両投げができるようになった。'08年のドラフトでヤンキースに指名され(20巡目)、'12年にはトリプルAに昇格してメジャー目前と見なされていたが、右肩関節唇の故障で好機をものにできない。ヤンキース傘下での7年間の通算成績は、384回3分の2を投げて防御率2.46。9イニングス当たりの三振奪取数は10.1個だから、数字は決して悪くない。