プロ野球亭日乗BACK NUMBER
巨人・小林誠司と「スターの宿命」。
逃したチャンスが“追いかけてくる”!?
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2015/04/24 10:50
まだ阿部慎之助の地位を揺るがすには至っていない小林誠司。周囲の怪我は望むべきものではないが、彼にとってチャンスであることは間違いない。
このまま影が薄くなるかと思われたが……。
大差のついた試合の終盤だけが小林の出番となり、自然と影が薄くなっていくように見えた。しかし、そこでさらに巨人を襲ったのが4月17日の阪神戦での阿部の負傷、戦線離脱というアクシデントだった。
原監督のときとは異なるケースかもしれないが、明らかに「チャンスが小林を追いかけてきている」のである。言い換えれば小林はプロとして、この世界を生き抜いていく何かを“持っている”のではないか、ということなのである。
それを確信させたのは、再び出場機会を得た4月19日の阪神戦だった。この試合で先発マスクを被った小林は、延長11回2死満塁からセンター前に決勝の2点タイムリー安打を放った。
「最後はなんとか安打になったけど、そこまでに反省点が一杯あるからね」
インフルエンザで療養中だった原監督に代わって指揮を執った川相昌弘ヘッドコーチがこう語ったように、この試合も捕手としての評価は厳しいものばかりだ。
キャッチングでミットが流れる。ワンバウンドを体できちっと止めきれない。リードも強気の内角主体はいいが、場面やカウント、投手の心理状態や相手打者の狙いなどを考えたリードができず、頭の中だけで組み立てた自分本位のリードしかできない。
首脳陣からこうした厳しい指摘が絶えないのが、捕手・小林の現状なのである。
ただ、この試合でも最後にチャンスで打席が回ってくる。しかもこの土壇場の挽回チャンスで決勝打を放った。ギリギリのところで生き残りの機会が巡ってきて、そこで結果を残して首をつないでいる。
小林は何かの星の元に生まれているのではないか……そんな期待を抱いてしまうのである。
原辰徳も、中畑清の怪我で三塁に定着した。
思えば原辰徳のデビューにも、似た部分はあったのだ。
プロ入り直後は中畑清(現DeNA監督)が三塁のレギュラーにどっかり座っていた。そのためプロ1年目の開幕は、慣れない二塁で出場していた(原監督の場合は二塁で打撃では結果を出していたが……)。ところが直後に中畑三塁手が指の故障で離脱したことで、三塁に戻って結果を出した。そうして一塁・中畑、三塁・原という布陣が固まったのである。
冒頭の1989年のシーズンは、日本シリーズでも1、2戦が絶不調で打順は4番から6番、そして第3戦ではついに「7番」まで降格した。
それでも「チャンスは原を追いかけてきて」ウォーレン・クロマティが敬遠された7回2死満塁から試合を決める満塁ホーマーを放った。