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錦織圭、歴代のラケットを徹底検証!
小学生時代から15歳まで一気紹介。 

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河崎三行

河崎三行Sangyo Kawasaki

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photograph byAction Images/AFLO(L),Tennis Classic Break(R)

posted2015/01/19 10:40

錦織圭、歴代のラケットを徹底検証!小学生時代から15歳まで一気紹介。<Number Web> photograph by Action Images/AFLO(L),Tennis Classic Break(R)

ブリスベン国際での25歳の錦織と、ウイルソンと初めて契約した11歳の時の錦織。

前代未聞! わずか11歳でウイルソンと用具提供契約。

●HYPER HAMMER(ハイパー・ハンマー)6.3

 錦織はわずか11歳で、ウイルソン日本支社と用具提供契約を交わしている。

「父親の清志さんは早い段階から圭君の非凡な才能を見抜き、息子が本格的にテニスに打ち込めるよう応援したいと考えていらっしゃいました。それにあたり、岡山にいる私の友人のテニスコーチを通じて、当社に用具提供依頼の連絡があったのです」(道場氏)

 ジュニアのアマチュア選手であっても、本格的に競技者としてテニスをするとなると、試合中にストリングが切れた場合や経年変化も考え、年に数本のラケットを用意しなければならない。それは親にとって少なからぬ経済的負担なので、メーカーからのサポートの必要性は高くなる。

「ではなぜ当社にお話をいただいたのかというと、圭君が将来海外の各地で戦うことを考えた場合、多くのトッププロが選んでいるグローバルブランドのウイルソンなら、世界のどこへ行ってもサポートを受けられる、そして当時すでに圭君がウイルソンのラケットを好んでくれていた、ということからのようです」(道場氏)

 しかし、当時のウイルソン日本支社が用具提供契約をしていた選手は、プロを含めて国内で20人程度。最も若くて高校生、それもインターハイで優勝が狙えるレベルのプレーヤーのみに限られていた。もちろんそれ以前に、同社が小学生のアマチュアプレーヤーに用具を支給した例などない。いくらこの年の錦織が全国選抜ジュニア、全国小学生大会、全日本ジュニアU12の3冠を達成していたとはいえ、道場氏も当初は迷いがあったという。

「ただ、小学生選手への用具支給を考えること自体、なかなか驚きのある出来事でした。また、用具提供依頼の話を持ってきてくれた岡山のコーチから『彼のプレーを一度見ておいた方がいい』と勧められたこともあり、RSK杯という全国規模のジュニア大会に、圭君の試合を見に出かけたんです」(道場氏)

 ところが秋に道場氏が出かけたRSK杯は13歳以下の選手が対象で、中学生にも出場資格があった。第8シードだった錦織は、準々決勝で2学年上の第2シード選手に完敗してしまう。

 それでも声だけはかけておこうと道場氏が試合後の錦織を訪ねると、彼は母親の横で悔し涙に暮れていた。

「その日、お母さんには試合前にお会いしていたので、やってきた私に気付いたお母さんが、圭君に『ウイルソンの方ですよ』と伝えました。すると彼はぱっと泣きやみ、私の目を見て『こんにちは』と挨拶してくれたんですよ。そのあと、『残念だったね』とか二言三言話をし、『じゃあ、頑張ってね』と励まして私がその場を離れると、すぐまた泣き出してしまったんです」(道場氏)

 試合に負けて涙を流すジュニア選手なら、別段珍しくはない。しかしその最中に初対面の大人と会った時、感情をコントロールしてきちんと接することのできる子は、めったにいるものではない。そんな錦織を見た道場氏は、なんと芯の強い子だと感嘆したのだという。

「それで彼のファンになってしまったというか、どうにも気になる存在になっちゃって、ウイルソンとしてサポートしたいということになったんです。正直なところその時点では、のちにプロとして大成するかもしれないとか、まるで考えていませんでした。選手としてというより、一人の人間として彼のことを好きになり、彼の思い描いているものの実現のため、できる限りのことをやってあげたいと思っただけなんです」(道場氏)

 ほどなく正式に契約を交わし、初めてウイルソン日本支社が錦織に支給したラケットが、「HYPER HAMMER 6.3」である。当時の提供本数は、年間3本だった。

【次ページ】 フェイス面積を変え、次のレベルにステップアップ。

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