マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
ドラフト指名を「断る」ということ。
“野茂英雄”になって戻っておいで。
posted2014/11/13 10:50
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph by
Kyodo News
ドラフト会議から半月。
各球団とも指名あいさつが終わって、仮契約がポツポツと始まっている。
そんな報道の中に、ある高校生投手が「育成指名」を断わって社会人野球に進むことを表明し、指名した球団もその交渉権を放棄したという記事が、ひっそりと掲げられていた。
実は、その投手の育成指名には最初から違和感を抱いていた。
誰でも知っている名門校の剛球右腕。チームに優秀な投手が何人もいたのと、彼自身、肩に不安を抱えていたこともあったと聞いている。絶対的エースというわけにはいかなかったのだ。
この夏、甲子園に出場したその投手だったが、“4本柱”の3人がマウンドに上がった中で、彼だけは最後までベンチで応援にまわって、その高校野球生活を終えた。
試合後の囲み取材。どんな話をするのだろうと、囲みの輪の一人として耳を傾けた。
どうして自分だけが投げられなかったのか。その無念さを他者のせいにすることなく、すべては自分の未熟さと準備不足であったことを、とても冷静に、客観的に語っていたのが印象的だった。
ドラフト中位が予想されたが、まさかの育成指名。
190cmを超える巨体から、150kmに及ばんとする剛速球とフォークを投げ下ろす渾身のピッチングで、ひたすら打者を攻めて、攻めて、攻め抜く。そんなプレースタイルでありながら、印象としては対極の“すっと胸に落ちる話”をする少年、いや、もう立派に青年の香りの漂う球児だった。
大舞台での実戦経験、実績は積めなかったものの、そのケタ外れのパワーと圧倒的なボールの威力、そしてスピード。プロに加わっても、頭一つ飛び出るはずの雄大な体躯。志望届さえ出せば、1位はなくてもおそらく中位、つまり3位、4位で声がかかるだろうというのが、ドラフト前のおおかたの見方だった。
しかしフタを開けてみたら、指名があったのは「育成ドラフト」になってからだったから、少なからず驚いたものだ。