オリンピックへの道BACK NUMBER
忘れられぬ五輪代表落選の屈辱……。
ベテランはパンパシからリオを目指す。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byYusuke Nakanishi/AFLO SPORT
posted2014/08/18 10:30
6月のジャパンオープンでの男子100m背泳ぎの表彰台にて。左から萩野公介、入江陵介、古賀淳也。
高まる期待が、古賀のリズムを狂わせた。
自身、説明がつかない理由を推測すれば、こういうことかもしれない。
世界選手権金メダルという成績は、古賀に注目を集めることになった。競泳界の「顔」として、取材やイベント出席の場面も増えていった。自身では変わっていないつもりでも、練習や生活、さまざまなところに影響を及ぼしたのかもしれない。
推測でしかないが、平井伯昌コーチの当時の言葉は、示唆的でもある。
「過去のことは忘れて、とにかく練習してほしいですね」
練習していても、その中身が、どこか好調だった頃とは、異なっていたのではなかったか。
ロンドン五輪選考落選も現役続行を決意。
苦しい日々を送りながら、2012年を迎えた。ロンドン五輪開催のシーズンだ。4月、代表選考を兼ねた日本選手権が行なわれた。北京五輪に出られなかった雪辱を果たすべき場で、100mでは入江に次いで2位となった。だが、派遣標準記録に0秒05及ばず、代表入りはならなかった。
競泳の場合、2位以内に入った上で設定されたタイムをクリアしなければ代表にはなれない。それを派遣標準タイムと言うが、わずかの差でオリンピック行きを逃すことになった。
「最善を尽くしたけど、少し足りなかったです。今後どうするかは分からないですが、これでおしまいという自分もいたり、悔しくて4年後も頑張ろうという自分もいたり……」
レースの後、言葉をつまらせた。
それでも現役続行を決意した。環境を変えるためアメリカ留学など試行錯誤を続けた。