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<真価の問われるシーズンへ> 宮里優作 「僕のゴルフは変わらない」
text by
赤坂英一Eiichi Akasaka
photograph byTakuya Sugiyama
posted2014/03/26 11:50
「このままじゃ、沖縄に帰って就職先を探さなきゃ」
高過ぎる周囲の評価と自分の意識とのギャップが、優勝までの道を大きく遠回りさせる一因になった。その間に藍は日本でもアメリカでも優勝してトッププロとなり、聖志も国内ツアーで初優勝する。よく知られているように、兄妹は小さいころから一緒に父の指導を受け、強い絆で結ばれた仲だ。だが、宮里は聖志や藍に助言を求めたりはしなかった。
「兄妹でもそれぞれタイプが違いますから、同じようにやろうとしてもうまくいくわけがないでしょう。それに、ぼく、兄妹の中では一番、親父と衝突しているほうでしたから」
試行錯誤の末、「ビジョン54」に取り組み始めたのも、妹に勧められたわけではなく、自ら一念発起してのこと。それでもなかなか結果が出なかった一昨年、ゴルフ人生で最大の危機が訪れる。開幕から棄権と予選落ちが続き、夏まで7戦連続で賞金ゼロという窮地に陥ったのだ。このときはさすがに挫けそうになり、妻にこんな弱音をもらしている。
「このままじゃ、沖縄に帰って就職先を探さなきゃいけないかもしれないな。親父のレッスンの手伝いでもするか。本当にそうなるかもしれないから、頭に入れておいてくれ」
だが、いま振り返ると、このピンチがかえって自分を救ってくれたと、宮里は言う。
日本シリーズ出場を決めたパットもメンタル練習の成果。
「あのころはすごい葛藤がありましたけど、おかげで逆にやるべきことが明確になった。おれはもう、このニールソンのトレーニングをやるしかない。それまで迷いながらやっていたのが、これだけを徹底的にやっていこうと、ピシッと集中することができた」
昨年の初優勝までには、そこからまだ一山も二山もあった。6月にツアー外の九州オープンで初優勝し、余勢を駆って臨んだ10月の東海クラシックは首位でスタートしながら、最終日に13位に転落。最終戦の日本シリーズも、前週のカシオワールドオープン最終ホールでバーディパットを決めて7位に浮上し、滑り込みで出場権を獲得したのだった。
「そのバーディパットも、メンタルの練習の成果でした。自然に自分を信じて打った結果が、日本シリーズ出場につながったんです。迷いながらやってた前の年は、逆に1打差でシリーズに出られませんでしたから」