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<真価の問われるシーズンへ> 宮里優作 「僕のゴルフは変わらない」 

text by

赤坂英一

赤坂英一Eiichi Akasaka

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photograph byTakuya Sugiyama

posted2014/03/26 11:50

<真価の問われるシーズンへ> 宮里優作 「僕のゴルフは変わらない」<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

劇的な一打を可能にした「ビジョン54」トレーニング。

「まさか」であっても「偶然」ではない。メンタルの強さに裏打ちされた一打だったというのだ。このショットを可能にしたのが、宮里が3年前から取り組んでいる「ビジョン54」である。アメリカで暮らす妹の藍が師事しており、アニカ・ソレンスタムのコーチとしても知られている元女子プロ、ピア・ニールソンに教えられたトレーニング方法だ。

「ラウンド中はとにかく、ゼロから下のことは考えない。常に自分が一番いい状態を維持して、力を出し切れるようにする練習です。単なるメンタルトレーニングというよりも、もっと根本的な意味で自分を磨くことを求められる。そうやって、どんな状況でも自分の力を100%発揮できるようにするんです」

 そういう心理状態を優勝を争う勝負どころで保つのは大変難しい。自分の置かれた状況が厳しければ厳しいほど、つい弱気になり、邪念が生じて、自滅してしまうプレーヤーが山といる。最初のうちは宮里もそうだった。

「始めたころは半信半疑で、言われたことの半分もできませんでした。かと言って、自分を信じるんだと、無理矢理思い込もうとしてもダメなんですよ。心の底からごく自然に、本当の力を発揮できるようにならないといけない。だから3年もかかったんですが」

聖志、藍を上回る出世頭だったはずが、気づけば33歳に。

 宮里の場合、これまでのキャリアと成績が心の妨げになったのかもしれない。レッスンプロの父親の下で3歳からゴルフを始めて、大阪桐蔭高校3年生で日本ジュニア選手権に優勝し、東北福祉大学では日本学生選手権を3連覇。日本アマ選手権も制して、大学卒業を控えてプロ転向を宣言したときには、この天才児は1年目から何勝するかと騒がれた。この時点では、兄の聖志はもちろん、妹の藍をも上回る兄妹の出世頭だったのである。

 しかし、それから10年、2位が6度、最終日最終組が15度と、いつもあと一歩及ばず。気がついたら、もう33歳になっていた。

「実は、ぼく自身はあのころ、自分がうまいとは思っていなかったんですよ。むしろプロはそんなに甘くない、自分みたいなヘタクソがすぐに勝てるようじゃ、かえっておかしいというぐらいの気持ちでした。そんなぼくが本当にするべきことは何か、そういうこともまったくわからなくて、自分なりにいろいろと悩んだりもがいたりしてましたね」

【次ページ】 「このままじゃ、沖縄に帰って就職先を探さなきゃ」

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