ソチ五輪EXPRESSBACK NUMBER
激戦の女子フィギュアに名乗り!
2つの幸運を持つ15歳、リプニツカヤ。
text by
野口美惠Yoshie Noguchi
photograph bySunao Noto/JMPA
posted2014/02/18 10:40
ショート、フリー両方に登場し、プルシェンコとともにロシアの団体金メダルの立役者となったリプニツカヤ。シングルでも浅田ら日本勢の強力なライバルになりそうだ。
才能を見抜いたコーチとともに、五輪を目指し始めた。
ロシアスケート連盟のサポートも紹介も何も無いなか、リプニツカヤの母は、片っ端からモスクワのリンクを突撃訪問した。
「コーチを決めていないまま、車に荷物を積み、ママの運転で2日かかってモスクワへ来たんです。色んなリンクを見学してママが頭を下げて、今のコーチが私を引き受けてくれることになりました。始めてモスクワに来た時の衝撃は今でも覚えています。車とビルがたくさんあって、すべてに圧倒されました」
驚異の柔軟性でこそ可能になるスピンと、卓越したジャンプ力。その才能を見抜いたエトリ・トゥトベリゼコーチが、無名の少女を五輪へ導くことを約束した。そこからはスケート一色の日々を過ごす。朝練のあと学校へ行き、友人と遊ぶ間もなくリンクへ戻ると夜中まで練習。1日5時間というハードな氷上練習を続け、一足飛びで成長した。
柔軟性を生かし、脚を後ろに持ち上げるビールマンスピンで、完全に180度真上に上げる驚異のポジションを考案。自ら「キャンドルスピン」と名付けた。
昨季後半力を発揮しなかったことが、プラスに働いた。
13歳で、'11年ロシア国内選手権2位、'12年世界ジュニア選手権優勝。勝因は、友達すらなく毎日スケートだけしていることだと答えたリプニツカヤ。寂しくないのかと尋ねると、こう言った。
「全然寂しくないです。私はすごく内気な性格なので、家で動物と過ごしているか、リンクで練習しているか、というのが向いているんです」
14歳でシニアに上がると、'12年グランプリファイナルへの進出も決めたが、練習中の転倒で頭を打ち、大会を棄権。昨季後半は力を発揮できずに終了した。
本来ならば昨季のうちに、旋風を巻き起こしても良い逸材だった。しかしシーズン後半に成績を残さなかったことで、ロシア国民による五輪メダルへの期待は、エースのアデリーナ・ソトニコワに集まった。
それは、報道に囲まれるのが苦手な彼女にとってプラスに働いた。