野次馬ライトスタンドBACK NUMBER
元横浜・古木克明が格闘家デビュー。
誰が何と言おうと最高の試合だった!!
text by
村瀬秀信Hidenobu Murase
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2011/01/09 08:01
3ラウンドの戦いの中では何度か攻勢を見せた古木。2ラウンドでは、アームロックをほとんど極めかけていたのだが……
心機一転をねらったオリックスで戦力外通告を聞いた。
当の本人、古木は苦しんでいた。守備ではノイローゼ気味になり、打撃でも悪い流れを断ち切るべく、フォーム改造に何度も取り組んだが、コーチの教えをすべて鵜呑みにしてしまう素直な性格が災いし、結果フォームはバラバラ。「本塁打にこだわっていく」と言ったかと思えば「最強の2番打者を目指す」と発言もブレブレで、挙句「何も考えないで振るのが一番です」と真っ青な顔でつぶやく様は、もはやイロイロ限界だった。
「最後の方は、ファンの人がいくら『頑張れ』って言ってくれても、僕には『守備がヘタクソなんだから頑張れよ』ってバカにしているようにしか聞こえなかった。何もしていないのにボロクソに野次られて、次第に横浜から心は離れていきました。結局、自分は心が弱いんです……。信念を持って常に平常心でプレーできていれば絶対に活躍はできると……だから一度すべてをリセットしたかったんです」
'07年10月。トレードを志願し、新天地オリックスでの出直しをはかった古木は、そんなことを言っていた。
だが、カブレラ、ローズ、ラロッカに北川博敏など胃もたれしそうなほど強力なオリックス打線に、古木の入る隙間はなかった。'08年21試合打率.222、'09年9試合打率.231。2年間本塁打なし。不完全燃焼の末、つきつけられたものは戦力外通告だった。
「野球では叶えられなかった自分」になりたくて格闘技の道へ。
まさかの格闘家転身が発表された一昨年の12月。SMASHの道場で格闘家としての道を歩み始めた古木に話を聞いた。
「野球ではただ僕に実力がなかったということです。一軍に与えられたチャンスの中で結果を出せなかったことは自分の実力不足。だから後悔はしていませんし、野球とはキッパリ決別しました。ただ、一度咲きかけた花が咲くことなく枯れてしまって終わるのが悔しい。もう一度スポットライトの当たる場所で、期待してくれる声に応えられる、野球では叶えられなかった自分になりたいんです」
……正直、どんな場所でもいいから野球を続けて欲しいと願っていた。多くの人は古木という野球人に魅せられたのである。野球が続けられないなら、下手に格闘家の真似ごとをして慰み者になるぐらいなら、潔く表舞台から身を引いてほしい。そんなことを感じていた。
「古木は総合のエースだけではなく、SMASHの看板として売り出します。目指すは大晦日のDynamite!!です」
古木を格闘界へ導いたSMASHの代表・酒井正和氏はそう高らかに宣言していた。それも古木の持つスター性ゆえなのかはわからないが、ランナーなしならそこそこ打つのである。いきなり看板を背負わせて重圧を掛けない方がいいんじゃないだろうか。