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病院前に続々とファンが集合。
頑張れミハエル・シューマッハー!!
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph byBongarts/Getty Images
posted2014/01/11 08:11
シューマッハーが入院する病院の前には多数のファンが集まっている。夜になると病院の壁面には“45 - Schumi Stay strong! Keep fighting!(45歳、シューマッハーはまだまだ強い! 頑張れ!)”というライトアップが。
シューマッハーの記憶に残る「あのレース」。
後日、シューマッハーは当時の状況を、そう回想した。幸い命に別状はなかったものの、右脚の頸骨と腓骨を骨折する重傷に見舞われたシューマッハーは、翌9戦目から欠場。しかし、懸命なリハビリによって、シューマッハーは第15戦マレーシアGPからの復帰を果たすと、シーズン終盤の2戦でいずれもポールポジションを獲得。チームに'83年以来、16年ぶりとなるコンストラクターズタイトルをもたらした。
1年後の2000年の日本GP。シューマッハーは再び偉業を達成する。
それはフェラーリに21年ぶりとなるドライバーズタイトルを持ち帰ったことだった。
小雨が降る中でミカ・ハッキネンと逆転に次ぐ逆転を演じた激闘は、いまも名勝負として語り継がれている。トップでチェッカーフラッグを受けてチャンピオンのタイトルを獲得したシューマッハーは、「思わずステアリングホイールが曲がるんじゃないかと思うくらい勢いよく叩いて喜んだ」という。
2度目の引退となった2012年、自身のベストレースを尋ねられたシューマッハーが挙げたレースが「2000年の鈴鹿」だった。
セナの死を目の前で見たドライバーとして。
そのシューマッハーにとって、同じ2000年、もうひとつ忘れられないレースがあった。
それは6戦ぶりの優勝を飾った第14戦イタリアGPだった。記者会見でアイルトン・セナが持つ通算41勝に並んだ心境を尋ねられたシューマッハーは、「そうだね。この勝利は僕にとってとても大きな意味を持つ」と言った後、突然泣き崩れたのである。
「セナは僕のアイドルだった」
'94年のサンマリノGPで、アイルトン・セナがタンブレロのコンクリートウォールへ吸い込まれていく瞬間を見届けた唯一のドライバーであるシューマッハー。
今年はそのセナがイモラに散ってから20年の節目の年。その2014年の1月3日に病院のベッドの上で45歳の誕生日を迎えたシューマッハーに、天国のセナはこう語っていることだろう。
「ミハエル、こちらに来るのはまだ早いぞ」