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3度目の五輪へ、3度目の試練に克つ。
高橋大輔が全日本へ「今できること」。 

text by

松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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posted2013/12/19 10:30

3度目の五輪へ、3度目の試練に克つ。高橋大輔が全日本へ「今できること」。<Number Web> photograph by AFLO SPORT

スケートアメリカの不振がうそのような圧巻の演技で、5度目となるNHK杯優勝を果たした高橋大輔。全日本までに最高の状態を取り戻して欲しい。

2008年の大怪我と、男子初の五輪銅メダル。

 何よりも、'08年秋の右膝靭帯損傷は大きな試練だった。それは競技人生も危ぶまれるほどであったが、手術とリハビリを経て復帰を果たすと、バンクーバー五輪の日本代表をつかみ、オリンピックでは日本男子初の表彰台となる銅メダルを獲得した。

 復帰への過程は、文字では表しきれないほど壮絶だった。

「逃げ出したいときもありました」

 高橋はこう明かした。いや、実際に逃げたこともあったくらい、リハビリは辛かった。長光歌子コーチも、「最悪のことも脳裏をよぎりました」と答えている。

 そんな日々を経て復帰して、メダルをつかんだのである。しかも、その後も足を止めることなく、毎シーズン、第一線で活躍を続けてきた。

 そして迎えた3度目のオリンピックシーズン。なのに、そこにもまた、試練は待ち受けていた。

GPファイナルの裏側で、高橋は氷上に戻った。

 先のリリースで、高橋は心境をこう綴っている。

「練習が出来ない状況を焦らない選手はいないので、自分の気持ちを救うも追い込むも自分次第だと思っています。ポジティブに自分を導き、この状況にも目を背けずに向き合い、スタッフとも相談しながら今できることを精一杯やろうと思います」

 手ごたえをつかんで、さあ、というところで訪れたアクシデントだ。しかもこの時期にである。動揺もなくすんなり受け止められるわけもない。

 それでも、必死に前を向こうとしている。

 いつも試練が待ち受けていた。

 しかし、高橋の足跡は、それらの試練を乗り越えてきたことを、乗り越えてきたからこそ今日があることを、物語っている。

 GPファイナルが福岡で華やかに行なわれている最中の12月6日、高橋は氷上での練習を再開した。

 訪れた試練を向こうに、今できることを尽くして、ソチ五輪の日本代表3枠をかけた全日本選手権へと向かう。

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