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3度目の五輪へ、3度目の試練に克つ。
高橋大輔が全日本へ「今できること」。 

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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posted2013/12/19 10:30

3度目の五輪へ、3度目の試練に克つ。高橋大輔が全日本へ「今できること」。<Number Web> photograph by AFLO SPORT

スケートアメリカの不振がうそのような圧巻の演技で、5度目となるNHK杯優勝を果たした高橋大輔。全日本までに最高の状態を取り戻して欲しい。

 1カ月以上が経った今も、NHK杯の高橋大輔は鮮烈なままだ。

 ショートプログラムの『ヴァイオリンのためのソナチネ』で会心と言ってよい演技を見せると、フリーの『ビートルズメドレー』では6分間練習では決め切れなかった冒頭の4回転トウループに成功し、ミスも出たものの優勝。その滑りは、まさに第一人者と言うにふさわしかった。そして、高橋がスケーターとして、さらに進化したことを示すものでもあった。

 その内容と結果は、グランプリシリーズ初戦のスケートアメリカのあと、不安視する向きを吹き飛ばすものでもあった。

「この大会を、オリンピックに向けてのリスタートとして、よいスタートという形にしたいです」

 晴れやかに、きっぱりと語った言葉には、手ごたえがうかがえた。

 優勝という成績もあって、高橋は12月5日に開幕するグランプリ(GP)ファイナル進出を決める。「よいスタート」のNHK杯に続いて、先へ進むためのステップアップになるはずの大会だった。

GPファイナルを欠場。思えばいつも試練があった。

 GPファイナル開幕を1週間後に控えた11月28日、ひとつのリリースが出される。

 そこには、11月26日の練習中に痛みを感じたことから診断を受けた結果、右すねの骨挫傷で全治2週間と診断されたこと、GPファイナルを欠場することが記されていた。

 しかも、12月21日からはソチ五輪代表選考を兼ねた全日本選手権が控えている。この時期に2週間、氷上にのることができないほどの怪我の影響は、一大会の欠場のみで済むはずもなかった。

 思えば、いつも試練があった。

 2005年に行なわれた全日本選手権は、わずか1枠のトリノ五輪代表の座をかけての争いだった。

 シーズンを通じて、ライバルの選手を意識せざるを得ず、重圧ものしかかった。その中で代表の座をつかんだ。

【次ページ】 2008年の大怪我と、男子初の五輪銅メダル。

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