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完勝の日本王座奪取にも「未熟者」。
井上尚弥、モンスターが背負う宿命。
text by
渋谷淳Jun Shibuya
photograph byJun Tsukida/AFLO SPORT
posted2013/08/27 10:31
日本最速タイ記録で日本王者となった井上。次に狙うは井岡一翔の持つ7戦目での日本最速世界王者の記録だ。
井上対策を練り、万全の態勢で初防衛戦に臨んだ田口。
この試合を振り返るとき、田口の奮闘を見逃してはならないだろう。
初防衛戦で大物ルーキーを迎えた田口は気力、体力ともに充実していた。固いブロックと上体の柔らかなボディワークは、井上用に強化したディフェンス。序盤こそ井上のスピードに翻弄されかかったものの、すぐに対応し、井上の高速コンビネーションもしっかり防いだ。
持ち前のフィジカルの強さも発揮した思う。田口はライトフライ級の選手にしては身体が強く、打たれもろくもない。体格を生かしてグイグイとプレッシャーをかけ、井上の右ガードが下がるクセを研究し、盛んにカウンターの左フックを打ち込んでいった。
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何より田口のこの一戦にかける意気込みには目を見張るものがあった。
か細い声で話す田口は線が細いというイメージを持たれがちなのだが、なかなかどうして、実はハートが強い。試合後の控え室では、よくもこれだけ我慢してリングに立っていたなと思うほど消耗が激しく、記者の問いかけに半ば放心しながら答えていたほどだ。
「追われる者の苦しさ」を経験したのは将来のプラスに。
では、この一戦で井上の評価は下がったのか。
倒せなかったのだから、失望したファンも確かにいただろう。しかしノックアウトを飾れなかったからこそ得られたものがあるのも事実だ。「将来のためにはかけがえのない経験になった」という大橋会長の発言は決して強がりではない。
どんな相手であれ、タイトルマッチは特別な舞台だ。目に見えないプレッシャーや緊張感は、たとえ相手が世界ランカーであっても、ノンタイトル戦で得ることはできない。今回の試合は井上がチャレンジャーの立場だったが、世間的な位置づけは王者の田口がチャレンジャーだった。「倒さなければいけない」という井上の心情はまさに王者のそれであり、「食ってやる」という田口のセリフは挑戦者そのものだ。追われる者の苦しさを井上は味わったに違いない。
試合ではクリーンヒットを許す場面があった。ボディブローも食らった。これまでの3戦はまったくといっていいほどパンチをもらわなかったのだからこれは貴重な経験だ。終盤には疲れも見せた。いずれも相手のレベルが上がっていけば避けられない事態であり、この日の井上はまさに実戦でしか得られない体験をしたのである。