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ウイリアムズ600戦記念に集結した、
歴代王者と闘将の胸に去来した思い。
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph byMasahiro Owari
posted2013/08/26 10:30
後列左からマンセル、プロスト、ロズベルグ、現在ウイリアムズのドライバーを務めるボッタス、マルドナドと続き、一番右にはヒルの姿が見える。前列中央の御大フランク・ウイリアムズの両脇には、バリチェロ(左)とバトン(右)。
王座獲得直後にチームを追われたデーモン・ヒル。
プロストのチームメートだったヒルもまた、チャンピオンを獲得した'96年に、ウイリアムズを追われた一人だ。
この一件に関しては、後日フランク・ウイリアムズも「あれは私が犯した大きな過ちのひとつ」と認め、ヒルもすぐに和解したと聞く。この日もヒルは、夫人を同伴して600戦記念パーティの会場であるウイリアムズのモーターホームを訪れ、スタッフが夫人を手厚くもてなしていた。
彼ら3人を含め、次々とやって来る歴代ドライバーたちと和やかな表情で話すフランク。そこには、車イスの闘将と恐れられた厳しさはなく、600戦を戦い抜いた者だけが享受できる幸福感の中にいるかのようだった。
あの日、あの場所に来ることができなかった人のために。
そのフランクが、この日唯一、厳しい表情を見せた瞬間がある。それは600戦の歴史をダイジェストにしたVTRが流れたときだ。ウイリアムズが制作したVTRだから、当然そこには輝かしいレースシーンばかりが編集されていた。しかし、途中からフランクは眉間にしわを寄せたり、時には目を閉じ、涙で目を潤ませているかのようにも見えた。
後日、そのことをパトリック・ヘッドに尋ねた。ヘッドはフランクとともにウイリアムズ・グランプリ・エンジニアリングを立ち上げ、デビューレースとなった'77年のスペインGP(ウイリアムズのデビューレースには諸説あるが、今回の600戦に関してはチーム発表による'77年スペインGPデビュー説を採用している)から、フランクと二人三脚でチームの繁栄を築いた技術者である。すると、ヘッドはこう言った。
「あの日、あの場所に来ることができなかった人のことを思っていたんだろうね。あれは私にとっても、もっとも辛い経験だったよ」
記念パーティに来ることができなかった人とは、'94年にサンマリノGPで壮絶な事故死を遂げたアイルトン・セナのことである。ウイリアムズにとって、264戦目の悲劇だった。
あの日、あの場所に、セナはいなかった。しかし、フランクには見えていたのかもしれない。そして、心の中でそっとセナと会話していたのだろう。きっとセナも天国からこうささやいたに違いない。
「フランク、600戦おめでとう」と……。