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ベルガー、バリチェロ、ボッタス、ペレス…記録には残らずとも、最強王者たちのタイトルに貢献した「名脇役」たちの記憶
posted2025/02/07 17:00

1990年、マクラーレン・ホンダでチームメイトだったセナ(左)とベルガー
text by

尾張正博Masahiro Owari
photograph by
Getty Images
「傑作の裏に名脇役あり」とは銀幕の世界でよく使われる表現だが、それはモータースポーツ、とりわけF1にもあてはまる。
1980年代後半から2000年代にかけてのF1では、アイルトン・セナとミハエル・シューマッハがひとつの時代をつくった。セナは3度チャンピオンに輝き、シューマッハは史上最多となる7度の王座に就いた。その最大の要因は彼らがともに類い稀なる才能の持ち主であったことだが、必ずしも自らの力だけで偉業を成し遂げたわけではない。王者が在籍したチームには優秀なセカンドドライバーが存在していた。
セナが心を許した存在
88年に初めてチャンピオンとなったセナは勝利に対して強い執念を抱くあまり、サーキットで心を許せる存在がほとんどいなかった。しかも89年にはチームメートだったアラン・プロストと泥沼の争いを演じ、タイトルを逃していた。そんなセナのチームメートとして90年にマクラーレンに移籍してきたのがゲルハルト・ベルガーだった。彼こそがセナの2度目(90年)と3度目(91年)の戴冠を支える存在となる。
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一時はF1からの引退も考えていたセナが90年以降もF1にとどまってレースを続けることができた要因のひとつは、チームメートがベルガーだったからだと考える者は少なくない。セナがベルガーに対して信頼を寄せていたのは、83年のF3マカオGPでの一件があったからだと言われている。
セナは第1レースと第2レースで共にポール・トゥ・ウィンを飾り、圧勝。当然ながらファステストラップも記録していたはずだった。だが、オフィシャルのミスで第2レースのファステストラップはベルガーに与えられた。非がないベルガーは怒りが収まらないセナの元を訪れ、「ファステストラップを記録したのは自分ではなく、君だ」と潔く事実を認めた。結局、裁定が覆ることはなかったが、その日以来、セナにとってベルガーは特別な存在となった。
そんなベルガーがセナのタイトル獲得に大きく貢献したレースが91年の日本GPだった。この年、セナは開幕4連勝を飾って選手権をリードしたが、シーズン中盤からウイリアムズのナイジェル・マンセルの猛追を受け、混戦状態でシーズン終盤の日本GPを迎えていた。