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東京湾岸をひたすら東へ、幕張へ。
「未来都市」のあるべき姿とは? 

text by

疋田智

疋田智Satoshi Hikita

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photograph bySatoshi Hikita

posted2010/11/20 08:00

東京湾岸をひたすら東へ、幕張へ。「未来都市」のあるべき姿とは?<Number Web> photograph by Satoshi Hikita

「海岸通り」。

 というと、通常思い浮かべるのは、海沿いに走る、水平線のまぶしい美しく爽やかな通り、という感じだよね。昭和の歌謡曲なんかでは、最もメジャーな舞台の一つだったりした。大抵は恋人同士でクルマに乗って、ドライバー席と助手席で別れ話(または逆)なんかしてるという、そういう設定なわけだが「海岸通り」という名前自体に、なんだかロマンティックな香りすら漂ってる。

東京湾岸、東には何がある?

 ところが、東京湾岸の「海岸通り」というのは、そんなロマンティックな香りなど、薬にしたくともない。

 高速の高架の下、ひたすら大型トラックが走り、南は横浜へ、東は千葉へと繋がる、首都圏の物流大動脈である。大型のダンプや超大型のトレーラーもバンバン通り、埃っぽいだけでなく、高架のせいで道が暗く、なんだか道自体が殺気立っている。

 というわけで、今回は物好きにもそれを東に行ってみようというルート。行ってみるとどうなるかといえば、もちろん千葉に入っていく。

 その千葉には何があるか。

 ということで、私はフォールディングバイク(折りたたみ自転車)の傑作車「BD-1」で千葉市美浜区、幕張へ向かった。

 行程はおおよそ35kmというところ。まあまあ楽勝である。ところが……。ふーむ、ちょっと失敗。この通りはせめてロードで行くべきだったな。

 なぜか。その理由は後述。

永代橋を渡って、門前仲町へ。

 湾岸東京に「境界線」を引っ張るなら、それは築地だ思う。そのココロは「築地までは都心、それを行きすぎると下町」というような意味合いだ。その築地から、新大橋通りを北にのぼり、まずは永代橋を渡ろう。

 永代橋っていうのは、時は元禄、五代将軍綱吉が50歳になったのを記念して隅田川にかけた橋だそうだ。ところが皮肉なのが、綱吉のまさにその時代、赤穂事件、通称・忠臣蔵の討ち入り(もちろん綱吉がまったく愉快に思わない事件)が起き、浪士たちが吉良上野介の首を掲げて渡ったのが、この橋なのである。

 両国の吉良屋敷(つまり討ち入りの現場)から、永代橋まで南にわずか2キロ弱。江戸の歴史を語る隅田川4番目の橋だ。

 今となっては、水色の鉄橋である。

 そこを通って、門前仲町(横綱土俵入りで有名な富岡八幡宮がある)、東陽町(バブル時、副都心になり損ねた街)と、なかなか味わい深い街を通って、南砂で明治通りにぶつかる。これを右折。

【次ページ】 江東区、江戸川区を通過。観覧車が見えてきた。

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